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ZL1WY / ZL7  Chatham Islands


風の島 チャタム島 その2

ZL1WY 三宅 広幸

 ZL7への準備で、もっとも気を遣ったのは荷物重量の事でした。
9月に起きたニューヨークのテロ事件を受けて、各空港での検査が強化されているのは承知していました。
しかし、検査は時間がかかっても、必ず通過できる自信がありましたし、何より私なりにテロ事件を残念に思い、故に進んで検査に協力する気持ちがあったので、検査の強化自体はあまり問題だと思っていませんでした。
 しかし、荷物の重量は全く別な話で、今回はひとりで運べる最大級の荷物を持って行かざるを得ないため、出発日まで最後の精力を注ぎ込んで荷物の小型化に努力しました(超過料金を払えば済むと云うものでもなかったからです)
 過去、JA8VE斉藤OMにお連れいただいた、富国島のIOTAペディションの際も、ローカルフライトの搭乗手続き時に荷物の「載せる」「載せない」がありました。
何一つとして無駄なもののないペディションでは、すべての荷物を無事に運べるかどうかは、大変重要なファクターだと思います。
 いろいろな工夫をしてまとめあげた荷物達を、とにかくトラブルなしに全て持って行くこと、これが最初の重要な課題でした。



今回の荷物一式
総重量55kg、これでも減らしたのです。

 2001年11月28日の朝、すべての荷物をパジェロに積んで自宅を出発しました。
関越自動車道から外環、湾岸、東関東自動車道と通って成田まで。約3時間の行程です。
慣れた道を通って、これまた、いつものパーキングへ車を預け、第1ターミナルに到着したのが14:00ちょっと前でした。
この日、空港へ来てみて、とにかく人が少ない事にはびっくりしました。
やはり目に見えてニューヨークの事件が、影響を及ぼしているように思えたのです。
今までならば、並ばなければならないHISのカウンターも、待つことなく順番が回って来ます。
 今回は、大韓航空を使う事にしていたので、HISのカウンターで航空券を受け取ってから、すぐに大韓航空のチェックインカウンターへ行きました。
カウンターの女性は、私の荷物が重量超過であることを告げた上、「今回は超過料金をいただきませんが、帰りは分かりませんよ」と一言脅かされ(?)ました。超過料金は超過1kgにつき、約4300円。
大韓航空の許容重量は20kg、私の荷物総重量は55kg、もしまともに超過を取られれば150,000円を別に支払う事になります。
もちろんこんなに取られる事は、まずないとは思いますが、いずれにしても予想通り(?)のスタートとなったのです。
 旅行保険も保険会社の窓口であっと云う間の手続きでOK。
いつも使っているので、電話番号と名前を云えば申込用紙を書く必要がないので助かります。
しかし、手続きがすんなり終わった一番の理由は、やはり人が少ない事でしょう。
窓口に人がならんでいなのですから、書類があろうがなかろうが早いに決まっていますよね。
14:30に出国、今年の夏から例の出入国カードが廃止されました。
パスポートだけの提示と云うのは、ちょっと違和感がありますが、これも慣れでしょうね。
すぐ気にならなくなると思います。

 16:20にタクシー開始。
約30分遅れで、最初の乗り継ぎ先のインチョン(新ソウル空港)へ向けて離陸しました。
18:50にインチョン空港に着陸。
暗くてよく分からないけれど、想像以上に大きい空港の様です。
最近の空港はどこでも大きなガラス張りの造りですが、ここも例外ではありません。
それにとても広そうです。
雰囲気はちょっとシカゴ空港に似ている気がしました。
 到着ゲートから乗り継ぎのため移動を始めたが、広い上に機内に持ち込んだ荷物がずんと両肩にのしかかります。
乗り継ぎ者用のゲートで最初の荷物検査を受けました。
案の定、係員の指示で脇の机に移動して、お約束のカバンを開けてのチェックが行われます。
この後もそうですが、同軸ケーブルが検査官には良く分からないみたいで、スイッチング電源やエレキーのパドルよりも、同軸についての質問が多かったです。
M型コネクター付きのRG-58/Uが合計80mもデイバッグに入っていれば不思議ですよね。そりゃそうだ!
結局、「ハムラジオだ」と説明して無事に通過できました。

20:30搭乗開始
再び機上に!、オークランド行きの機内は70%程度の搭乗率で、私は最後尾から2列目の窓際に1人で座る事ができました。
飛行機で一番うるさい位置ですが、狭い座席で隣人に気を遣いながら乗る事を思うと、とても気が楽でした。
20:55タクシー開始
このフライトが、フィジーのナンディ空港経由である事をすっかり忘れていました。ナンディまで約9時間、とアナウンスがあって初めて思い出す始末です。

このフライトでは深夜にもかかわらず、食事が出されるので閉口しました。
それに韓国人アテンダントは、間違いなく私に韓国語で話しかけてくるので、最初の応対に疲れます。
と云うのも、特にワインのサービスが激烈(?)で、寝ていても揺り起こされて勧められる騒ぎです。
これは日本の航空会社ではないでしょうねぇ〜
やれ「食え!」、「飲め!」と云われているような気がして、まいりました。
朝4:30に朝食、パン、チャーハン等を出されても手を付けられず。
オレンジジュースとサラダだけ手を付けました。
09:15フィジーのナンディ空港に着陸。
見慣れた南国の風景が何故か懐かしく、或いは親しみを覚えてしまうのは何故でしょうか?



フィジーのナンディ空港

フィジーでは、乗客全員が機外に出され、トランジットルームへ....これは良くある事ですが、しかし今回はちょっと違いました。
機内最後尾にいた私は、降りるのも最後。
前方を見ると、どうやら荷物検査をやっている様子で、長い列が出来ているではないですか。
その列はなかなな短くならず、待っている間に合計20kgの荷物がずっしりと肩に食い込みます。
約15分ほどが過ぎて、やっと私の番が回って来ました。
若い女性係官の前に荷物を出してから、自らまずリグの入ったポケットを開けて見せました。
「これはアマチュア無線用のラジオです」
「アマチュア無線?」
「そうです。トランシーバーです」
彼女は後ろを振り返り、年輩の女性に何やら話しかけてから、私の荷物を持ち上げようとしてとたん、中身がごろごろと飛び出した。
私は慌てて押さえながら、ちょっと憮然としました。
彼女はそんな事にお構いなしで、あっちへ行けと大きな机を指さします。
中身の半分でかかったカバンを抱えてその机へ行くと、今度は年輩の太った女性係官が、私の荷物を容赦なく調べ始めました。
カバンのすべてのチャックを開き、救急キットの中身も調べ上げ、すべての機器の説明を求められました。
そして最後に、同軸ケーブルに行き着いて、この会話
「このケーブルは何?」
「私は英語が得意ではありません。難しい説明はできません」
「質問に答えてください。このケーブルは何に使うのですか?」
目の前はトランジットルーム、沢山の人がこちらを向いて座っています。そこでカバンの中身を容赦なく引きずり出されて、そのひとつひとつについての説明を求められるのには閉口しました。
結局、このチェックも無事通過するのですが、そのやり方に少しムッとしたのは確かです。
自ら進んで検査には協力しよう、と思ってはいても、今目の前に引き出すだけ引き出されたカバンの中身を見つめながら、元通りに詰め込む事を考えると、まったく、とほほな話ですよね。
1時間後、再び機内に戻り、一路ニュージーランドへ向けてフィジーを離陸しました。

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