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ZL1WY / ZL7  Chatham Islands


風の島 チャタム島 その1

ZL1WY 三宅 広幸

 2001年 12月7日の朝、私は韓国からの大韓航空機で明るい日差しの成田第1ターミナルに降り立ちました。
わずか10日ほどの旅でしたが、私にはずいぶん長く日本を離れていたような気がしておりました。
文字通り、夢中で過ごした10日間でした。
 そう、この日は、私にとって夢に見たニュージーランド領Chatham島(チャタム島)遠征から帰国をした、まさにその日だったのです。
師走の日本は、すっかり冬の風情で、心なしか疲れた体にも活を入れてくれるような気がするほど、成田は清々しい良い天気でした。
ニュージーランドが夏に向かう端境期に対して、日本は冬本番を迎え様としていました。
 ここ数年は、私にとって太平洋の国々へ無線機担いで出かける事が楽しみでありますが、しかしながら、今回の旅行は距離・時間共に、本当に遠い遠いはるかな道のりでありました。
それでは、そのお話を始める事に致しましょう。



Chatham島の地図
上図の湖のようなものは、環礁です(海水)

 転勤生活や、無謀(?)な深夜残業からようやく解放されつつあった(と云うより、体力的にできなくなったため)8年ほど前に、自宅を新築する事を考え始めました。
無線から遠ざかって、パソコンばかりを相手にして仕事をしていても、気持ちの上ではいつでもDXを楽しみたいと思っておりました。
皆さん良くご存じの通り、群馬には数々のスーパーDX'erがいらして
、そのご活躍に刺激を受けぬ地元ハムがいる筈がありません。(私自身も例外ではありません)
しかし現実は、どう見ても我が家の設備と私の腕では、とても皆さんと肩を並べるなどできる訳がない。
いやいや、並ぶところか足下にも及ばないのは目に見えている。
実際その通り、飛ばない聞こえない、こりゃやっぱりダメだ!.....ならば発想を変えて、反対に外国へ行って夢のパイルを受ける立場になろうじゃないか...
こんなところから、私のひねくれた(?)DXバケーションの夢はスタートしたのです。
そして、どうせ行くなら少しでも大きなパイルを受けたいものだ...、一体そんな場所(エンティティ)が手の届く範囲にあるのだろうか? 
ARRLのDXCCエンティティリストを眺めたり、旅行雑誌を見たりしながら、夢はもう走り出していたのです。 

 今、思い返してみても、ZL7を最初に選んだ本当の理由ははっきりしませんが、ただ元々ニュージーランドに行きたかった事や、ZL7での日本人の運用がまだない事を知っていたので、そういう情報(思いこみ)に動かされたのだと思います。
だからと云っても、私がZL7について何か知識を持っていた訳でもないし、ニュージーランドのハムライセンス制度についても細かく知っていた訳でもありませんでした。
ですから、実際に調査を始めた時に、あまりの情報の無さに愕然とする事になるのです。
調べようにも、東京にある在日ニュージーランド政府観光局ですら、ZL7に関する情報がなくて「役に立てない」と、事実上情報収集を断られた経緯もあります。
ハム免許についても、日本とニュージーランドは相互運用協定がなく、「日本の1アマでも免許は無理」(JARL国際課)と云われてしまう始末でした。
情報収集もできず、また肝心のライセンスもダメと云う事になって、当時の私は急速にZL7に関する興味が薄れて行きました。

 その後、2000年の夏にひょんな事でニュージーランドへの渡航がかなうチャンスがあって、思い切ってオークランドにある主管庁の窓口を直接訪ね、ニュージーランドでハムライセンスを取得する方法を相談しました。
その時私の話を聞いてくれた担当の女性は、とても親切に相談に乗ってくれました。そして、後日念願のZL1WYと云うコールサインと共に、ニュージーランドの最上級資格である「Generalクラス」相当の運用資格を取得する事ができたのです。
こうなると、俄然忘れていたZL7への思いが頭をもたげてしまって、居ても立ってもいられなくなってしまった....と云うのが最初のスタートでありました。

 2001年の4月に、私がKH4へのDXバケーションを終えた時には、既にZL7行きを想定した調査を再開しておりました。
政府観光局は当てにならない(失礼!)以上、すべては自らの調査結果が、このプランを実施するか否かを握っておりました。
サンスポットの最盛期に、ZL7から6mのサービスが行えれば、充分行く価値があると考えていましたので、とにかく気持ちは逸るばかりでした。
 ところで、ニュージーランドは、テレビの周波数帯が50MHz帯に極めて近いところにあるため、特に50.000MHzから51.000MHzのDXバンドの運用を希望する場合には、ライセンスとは別に許可を取る必要があったのです。
でも、不幸な事に私はその方法が分からず、しばらく右往左往しておりました。
実際、オークランドにある主管庁(私が免許をもらったところ)の窓口に訊いても、要領を得ずに難渋しました。
 許可が必要であるのは間違いないのに、当の窓口でさえ「既に正式なライセンスを持っているのだから、問題はないはずだ」と云って来る始末。(これは明らかに間違い)
こんな状態ですから、この時点ではまだZL7への渡航を決められないでおりました。
日本はもう盛夏を迎えていて、このままでは晩秋から初冬のタイムリミットに準備が間に合わない....ほんのちょっと諦めの気持ちがよぎった頃でした。

 この事態が変わったのは、ZL3AAA Russが紹介してくれたZL3TY Bobが、更にクライストチャーチにある主管庁の担当官、Lindsay Barker氏を紹介してくれた時からです。
Barker氏は、私の希望に沿う形で手続きをしてくれて、50MHzの問題は一気に解決することになりました。
これで私のZL7行きは、実現に向けて大きく進む事になりました。

 さぁ、渡航となればやる事は沢山あるぞ!
仕事の合間を見ては、航空券やホテルの調査や手配を始めたものの、再び壁に当たってしまいました。
世界中の航空券やホテルを手配できる!と豪語していたHISですら、ZL7への唯一のフライトであるChatham AirをBooking出来ない事が分かったのです。
この他に、持って行く荷物の重量や、アンテナシステムの選択とその準備など、一挙に忙しい事態になりました。
何と云っても、実質土日しか動ける時がないのだから、まだ数ヶ月あるとは云っても、準備の時間は限られていたのです。
そうこうしている内に、いつの間にか夏が過ぎ、秋がやって来て、私の仕事以外の時間の多くが、このZL7への渡航の準備に費やされたのです。

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