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ZL7C Chatham Island DX Pedition  その3



■ハプニング

1013日、出発の朝、慌ただしい朝です。

まだ荷物の最終チェックが終わっていないのに、出かける時間が迫っていました。今日は休日なので「本能」が早い出発を命じているものの、やり残した事が少しあったので出かけられずにいました。



ZL3TY Bob が持ってきた6m専用のFT-100
国旗はNZのもの

この3週間前に義父が他界して、何かと多忙でありました。
その法要のために
ZL7からの帰国スケジュールを変更したり、仕事の段取りを確定したり、やってもやっても終わる事のない雑事の泉に浸かっていたのです。
予定を遅れる事、約1時間。
今回のためにバーテックススタンダード社から提供された
FT-1000MP MarkVFL-7000他、しめて重量が約100kg
の荷物を積んで、愛車パジェロ号は一路成田を目指します。
途中、幕張出口付近を通過するのに大渋滞に巻き込まれましたが、何とか予定時間に成田へたどり着きました。この日は、空港周辺で集会があるとかで、出発客以外の空港入場が制限されていたために、思ったより楽にチェックインカウンターへ進めました。今回も、ソウル(インチョン)経由の大韓航空を使います。

さぁ、最初の難関のチェックインカウンターへ到着....

「お客様のお荷物は、合計で96kgですので超過料金をいただきます」
「はい、結構ですが、いくらになりますか?」
ここで提示された料金は、当初の予想よりもかなり高いものでした。
こちらも何とかディスカウントしてもらおうと、あの手この手で頼むのですが、ガンとして譲ってはくれない。今日の係りの女性はなかなか手厳しい。
とうとう上役とおぼしき方まで出てきて「払え」「まけろ」の応酬が続きます。
過去の私の搭乗履歴まで持ち出し、その時の荷物量がこれだけだった...などなど、大騒ぎになってしまいました。
結局、超過の重量に課金するが、単位金額をディスカウントする事で合意しました。
その額、今回持参した大型
HF
機が、まるまる購入出来るほどの金額を支払う明細にサイン致しました。
さぁ、それはそれ、これで身軽になったので、すぐに出国して搭乗口へ、あとはソウルまで何もする事がありません。
まずは自身の前途を祝って、カフェで1人ビールの乾杯(?)です

1630頃、予定通りに搭乗が始まったものの、何と出発直前になって機内で急病人が発生。
離陸前なので空港の医師がかけつけて手当をしている様子なのだが、一向に出発の気配がないのでちょっと心配になった頃、その乗客を乗せたまま飛行機は日本を離れました。
予定よりだいぶ遅れてソウルに到着しても、乗り継ぐオークランド行きの便まで充分に時間があります。
私にとっては、
3
回目のソウル国際空港。この広くてきれいなこの空港を、隅々まで探検したいような気もするのだけれど、それにはちょっと時間が足りない様です。
今回、重たい荷物はすべて預けてしまっているので、体も気分も軽々としています。



風の島 Chatham Is

オークランド行きの飛行機は、ほぼ定刻にソウル国際空港を出発しました。これから約11時間のフライトを共にする隣人の事は、いつも気になりますね。
今回の隣人は、韓国のご婦人でした。彼女のお仲間が私たちの周りを囲んでいますので、正直ちょっと騒がしいとイヤだなと思いましたが、しかし、実際は飛行中ほとんど大きな声を出す事もなく、静かに座ってくれていました。
少しだけお話しましたが、
NZに住んで10年になるとおっしゃっておりました。

ところで、いつも思うけど飛行機に乗る時は、本当にその時の体調が気分を左右しますね。
分かり切った事だけど、今回は特にそう思いました。
出発前は忙しかったけど、精神的に追いつめられていなかった分だけ助かりました。
機内での
11時間をどう過ごすか、どう過ごせるかで、旅の印象も変わると云うものです。

1014日の12:40に、無事にオークランド国際空港に到着しました。
1年ぶりのNZですが、沢山の乗客で入国窓口はごった返していました。
いつもの通り、入国は難しくなかったものの、税関でよもやのストップがかかりました。思えば、これが今回の苦難の道のりのスタートでした。
カートに乗せきれないほどの荷物を持って税関検査の列に並んでいた時の事....

女性の係官が近寄って来て、パスポートを見せろと云うので、手に持っていたのをそのまま手渡した....

「この荷物は何ですか」
「アマチュア無線の無線機です」
「ビジネスで来たのですか」
「そうではありません。私はお国に住む友人と、チャタム島へアマチュア無線を楽しみに行くのです」

こんなやりとりを少し続けたけれど、どうも話がかみ合わないので不思議に思っていたら、彼女「アマチュア無線」の意味が分からないのです。更に、チャタム島を知らないらしい。知らないものが2つ出てきたのだから、彼女もどうしてよいか分からないらしく、男性の上司をハンディ機で呼びだした。
結局、税関検査場に行け、と云われて、私の無事通過の夢はここで絶たれた事になります。

ガラガラとカートを押しながら、壁際の専用通路を通って指定された場所に向かいます。
その大きな検査場には、
10台ほどのテーブルがあり、中東系の男性やバックパックを持った白人男女、あと東洋系の女性が荷物の隅々までチェックされています。
私も、待機の列にならび順番を待ったのですが、一向に進む気配もなく、ただ無為に
1時間近く待たされました。

そして、どうも係官の交代時間になったと見えて、検査の終わった係官から新しい係官に交代しているのですが、何とその交代要員の中に、先ほどの女性係官がいるのを発見!

この時、イヤな予感がしたのですが、まさに事実は小説よりも奇なり、の例え通り、結局
1時間半ほど待たされた挙げ句に、何と私はその女性と再び言葉を交わす事になりました。

再び彼女の前に立った私は、先ほどと同じ台詞を唱える事になる訳です。
今回の私の荷物は、自分の身の回りの物が入ったトランク(ゼロハリバートン社製)と、自身の
FT-920、それにバーテックススタンダード社(以後、バテスタ社)から預かったFT-1000MP MarkVFL-7000、それにノベルティの帽子などです。
実は、バテスタ社からの荷物が私の手元に届いたのが、出発の
2日前でした。
本来なら、正規のインボイス(送り状:明細)を作って持って来るのですが、残念ながら今回は私の
FT-920と電源しか用意していなかったのです。
持ち込もうとしている
MarkVが新品である事から、その評価額と合わせて課税の対象になると云う説明が、再三に渡って彼女から出ているのです。
私は、自分が正規に
NZの政府から許可を得ているハムである事。今回は国際チームの編成でZL7に行く事、これらの機械は帰国時に持ち帰る事を説明したのですが、どうしても分かってもらえない。
1時間近い交渉も、彼女の上司の裁定で課税が決定され、幕を閉じました。

現物はそのまま税関預かりとなり、最終目的地のウェリントンで、税金を払って荷物を受け取れとの指示でした。
万事休す。
その女性係官に連れられてニュージーランド航空のカーゴまで行き、そこで荷物を預けて、引き受け証をもらってやっと空港の外に出る事が出来ました。

オークランドに到着して既に3時間が過ぎている事に気が付いて、とにかく友人に連絡を取ろうと電話を探しました。
実は、その友人に今日のホテルの手配を頼んでおいたので、彼女が来ないとホテル名さえ分からないのです。
もちろん私の到着時には、彼女は間違いなく空港に来ていたはずですが、連絡も取れないまま
3時間が過ぎた今、彼女がここにいるはずもありませんでした。
仕方なく番号案内で電話番号を調べ、彼女の自宅に連絡をすると幸い連絡が取れ、今夜の私のホテル名も分かり、やっと一安心。

ホテルのバウチャーも、明日のウェリントンへの航空券も、皆そのホテルのフロントに預けてくれたそうで、あとは我が身を運べば良い事になっていました。
それではと、トランクを一つガラガラ引きながら、お得意のエアポートシャトル乗り場へ行き、下手な英語でホテル名を告げると「日本の方ですか?」と唐突に日本語が返って来た。

びっくりして見ると、確かに日本名の名札をつけた男性が笑っています。
彼もシャトルのドライバーだそうで、彼の運転する車で
Capthon Bayside Hotelへ向かいました。オークランドの中心街にあるそのホテルは、ヨットハーバーに面していて、なかなか良いホテルでした。
1900過ぎに友人のB氏が訪ねて来てくれて、Parnel St.の日本食レストランで食事を一緒にしました。NZで日本食レストランは初めてですが、スタッフは全員日本人で、とても美味しい刺身やお寿司を食べさせてもらいました。
私は、いつもそうするように、地元のビールを選び(
Lion Cool)、彼は久保田の千寿と云う日本酒を楽しみました。
つもる話で時間を忘れ、
22時の閉店まで旧交を温める事が出来ました。

ホテルに帰ってからシャワーを浴びて、ベッドに足を伸ばすと一気に疲れが湧き出すものの、今日起こった事、そして明日からの事を考えるとなかなか寝付けずに朝を迎えました。

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