■終わりの始まり
さて、話は大きく飛びますが、私にとって
ZL7Cすべての運用を終えて帰路に就く前日の事です。日付で云うと、10月22日の夜の事です(以後、日時については、断りがない場合はすべて現地時間となります)
私は身の回りのものを片付けながら、この1週間の大半を過ごしたシャックの中で、記録のためにと書き殴っておいたメモを整理したりしていました。
1週間の大半を過ごしたシャック
外は今夜も風が強く、早春とは云え、とても厳重な防寒着なしでは外を歩けそうもありません。そのせいか昼間運用したオペ連はプラプラしていてなかなか帰ろうとしないのです。
我々の宿泊先はシャックとは別にあって、歩いて15分くらいの場所のバックパッカー専用のホテルでした。メンバーは月明かりがなければ、ホテルまで漆黒の闇を歩かねばなりません。
まして、外は絶海の孤島に吹き付ける、南緯43度の怒濤の風が待っているのです。
誰だってこの天気じゃ、ちょっと考えちゃうよな....と、思ってました。
しかし、実はそうじゃなかったのです。
みんなは私が片づけたり、メモを書き写しが終わるのを待っていてくれて、一斉に握手を求めて来てくれました。
...そうか、明日の朝はもう会えないから....
N2WB Bill が75mを運用中
IC-756Pro2とACOM1000
WF5T Paul(左)とZL3TY
Bob
PaulはCWの名手、ほとんどSSBには出なかった
シャイなN2WB
Bill、本当に優しいK3VN
Al、ほのぼのとしたZL2ST
Stan、チームトップの日本通で、私に分かりやすい(?)英語を話してくれたG4EDG
Steve、そして最高の友人ZL3TY
Bobと固い握手を何度も交わしました。
ほんの10日程度のふれあいだったけど、ハムとして、国籍・人種を越えた交わりを持てた事を本当に嬉しく思います。
正直なところ、このZL7Cのために、私としては公私ともに無理をして出てきているので、こんな小さな別れの儀式だけでも、気持ちの上で随分安んじる事が出来ました。
握手を交わして、そして手を振って、彼らは闇の中へ出て行きました。
小さな儀式の間も、ZL7Cの運用は止まりません。
パイルは減って来てはいるけれど、依然切れ目ないコールが続いています。
WF5T Paul、KW4DA
Dave、ZL2BSJ
Wilbert、DF4TD
Reinhard、ZL1CN
Murryのオペレーションが淡々と続いています。
さぁ、私も最後の運用だ、もう一頑張り160mでサービスをして行こう!
この夜、私は鬼になって(?)、ローバンドのサービスに当たってましたが、私の気迫が伝わりましたか?(笑)
CWの名手であり、今回SSTV、RTTYのほとんどを彼がこなした
KW4DA Dave 彼はK1B ペディションクルーの1人
ZL2BJS Wilbert(右)は、コンピューターの専門家
CWの名手 ZL9CIメンバーの1人
早春のZL7は、朝が早くやって来ます。
そしていよいよ私の帰る朝が来ました。
日本の春先とは随分異なる天気ですが、それでも今日日本に帰るとなれば辛くはありません。灰色の低い雲が、みるみる西から東に抜けて行きます。
雨も混じる横殴りの風は、一瞬「これで飛行機は飛ぶのかな?」と思わせるほどの勢いでした。
ZL7
での最後の朝食、それは毎朝同じメニューではあったけど....
ピーナッツバターを挟んだ食パンに、オレンジジュース、後は昨夜の余りものの野菜サラダを詰め込みます。
「Hiro、忘れ物はないかい?」、リーダーのKenが0700過ぎにやって来ました。
「あったらそれはもうKenのものさ」と切り返して、私はカバンを運びます。
すると、横目で見ていた今のオペレータ達が一斉にQRXになって、私のそばに来てくれました。
「
Daveさん、Paul、Wilbert、そしてMurryさんにはWellingtonから本当にお世話になりました。ありがとう」、固い握手と再会を約する言葉に送られて、私は車に乗りました。
競馬場のアプローチを越え、唯一の幹線道路へ車は走り出します。
チームカー ファミリアセダン
ZL7は本当に荒涼とした島です。
舗装路は集落のほんの一部のみで、空港への道の大半は未舗装のバラス道です。
今朝は、来た時とは逆の左手に海を見ながら、Kenの運転で空港を目指します。
激しい風に叩かれながらも、地面に張り付くような草花は、小さな花を確かに咲かせ、春の訪れを見せています。
両側の牧草地で、点々と草をはむ羊たちは、冬の間に全身にたっぷりまとった毛皮でふくれあがっていますが、そう、もうひと月もすれば、彼らは丸裸にされてしまうのですね。
そしてそれを待っていたかの様に、季節は短い夏になるのです。
島全部がこんな景色
私たちの暮らしたWaitangiと空港のちょうど真ん中付近に、Chatham
Lodgeと云うホテルがあります。昨年、G3SXWとG3TXFの二人が運用した場所ですが、そのホテルの手前を右に曲がり、今度は湖を右手に見ます。この湖はSalt
Lakeだと云う事でしたが、水平線の見える湖は、海そのものでした。
Ken
は空港までの道を、平均100km/h近い速度で飛ばして来ました。まるでラリー競技のようです。
荒野のど真ん中、吹き流しひとつの空港舎はひっそりとしていますが、その向こうに見える飛行機は出発の準備をしているようです。
特産のCrayfish(伊勢エビ)の積み込みがされていました。
その様子を見て、内心他人事の様に「あぁ、この風でも飛ぶんだな」と思ったりしました。
エアチャタム 経営は親子兄弟家族だけ
一族郎党での航空会社は珍しい
私は車から荷物を下ろしながら、「Ken、もういいよ、みんなが待ってるから帰って下さい」と云うと、彼は私が出発するまでここに居るとの返事。
それからおよそ1時間、家族の事やハムの事、共通の友人の話や次(?)のペディションの話など、取り止めもない話題でつなぎながら、そう云えば彼との時間も足りなかったなぁと、ふとその時思いました。
この日の乗客は、私を入れてわずか9名、これは飛行機の定員の半分以下です。
いつもの乗務員兼発券係りのおばさんが、搭乗開始を告げると、小さな集団がゆっくりと立ち上がります。
−さぁ、もう行かねばなりません。−
「OK、Ken、本当に親切にしてくれてありがとう。楽しいバケーションだった」
「Hiroさん、参加してくれてありがとう、みんなも心から喜んでいたよ、また会おう!」がっちり握った骨張った手、夕べから何度この固い握手をしただろう。
握手をした人それぞれの思い出が、この握手と云うスイッチで、確かに私のメモリーに書き込まれた気がしました。
「彼らのメモリーにも、私が書き込まれただろうか」
今までも沢山の外国人と握手を交わして来たけれど、今回初めて握手の意味が少し分かったような気がします。
飛行機は滑走路を一旦東のはずれまでタクシーしてから、機首を西に向け、ぐいっと風に立てました。猛るエンジンを押させていたブレーキがはずされると、小さな機体をブルブル震わせてあっと云う間に舞い上がりました。
窓に顔をつけるようにして、地上はるか、Kenの運転する車を見つけようとしましたが、残念ながら発見できませんでした。
小さなプロペラ飛行機は、予定通りなら約2時間でWellingtonへ到着するはずです。
こうして座席に座ってしまったら、あとはもうする事がない。
これから日本まで、私はただの物体として飛行機に揺られて行くだけなのです。
ZL7C
では不規則な時間での運用だったけど、寝不足になった訳ではなかったので、眠りたいと云う気持ちは、この時はありませんでした。
固いシートに座り直し、思いがけず短い間にZL7への再訪を果たせた事を思い返しました。新しい友人と、新しい経験をもたらしてくれたZL7Cでの私のオペレーションは、こうして幕を閉じたのです。
そうだ!こうしている今も、SteveやMurry、Bobが運用をしているのだな、と考えながら、私は、この旅行の初日から書き続けて来たメモを取りだして、その最初のページを開いたのです。
右はZL4HU Ken
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