2001
年の暮れに、私はこの章の主目的地であるChatham
Is に単独渡航致しました。
このWebでも、その事をつれづれに書きとめたものを、皆さんのお目汚しにしていただいております。
そう、もし私がハムでなかったら、或いはハムであっても(もちろん私はハムですが)、
HFのDX通信に興味がなかったら、更に云うと海外運用に興味がなかったら、更に更に云うと、遠い国の離島に1人で行く勇気(?)がなかったら、「決して」、ここを強調しておきますが「決して」訪れる事のなかった場所なのです。
Chatham
がどんな場所で、どんな手段で渡航できる場所なのか、実は私自身が昨年の夏頃まで、とんと皆目分からなかったのですから、考えてみたら大変な事でした。
そんな訳で、いろいろな選択肢が複雑に絡み合っていながらも、私自身が
Chatham行きと云う、たった1点を目指して動いて行ったと云えるでしょう。
何か不思議な力に導かれる様に、私はChathamの地に降り立ったのです。
これがちょうど1年前、2001年の師走の事でした。

ハムの世界では、
Chatham
IsはZL7で知られてはいます。過去の運用でQSOされた方も沢山いらっしゃる訳ですから、これと云って特に珍しい場所ではありません。
大体、年に1人か2人がここから電波を出していますからね。
しかし意外に、と云うか、呆れるほどChathamそのものについての情報はないですよね。
日本のテレビで紹介される事もないし、紹介の書籍がある訳でもない。
でもそれはニュージーランドの国の中ですらそうなんですよ。(後でお話しますが、今回の新しい旅で、そんなエピソードの出くわします。)

だからなのか、このChathamでの運用では、私自身の過去の海外運用と比して、かなり高いQSLカードの請求率を残しています。
私の気持ちを一言で云えば「へぇ〜」って感じでしょうか....
そうそう、いただくカードの余白に、珍しいところからありがとう、とお書きいただく方が、とても多かった印象を持っています。
とりも直さず、日本の皆さん、そしてヨーロッパの皆さんの、Chathamに対する関心の高さが見えて来ますね。
珍しくないけど、珍しい島...さぁ、再びそのお話しを始めましょう。
■ZL7C
昨年の
Chathamでの運用は、設備も、そしてコンディションにも恵まれず、私個人としては、その事に思いを残してしまったのも確かです。高望みと云われればそれまでの事ですが、特に50MHzは期待していただけに、オープンに恵まれなかったのは本当に残念でした。
いくら自然相手と云いながらも、やはりはずれてしまった時はがっかりしたものです。
いつの日にか、もう一度トライして、沢山の日本の方々、世界の方々にサービスをしたいと思ったとしても不思議ではないでしょ?
そして、そのチャンスが意外に早く、唐突にやって来たのです。
あるニュージーランド(以後、
NZと書きます)の友人を介して、まだ公表前のZL7Cの計画が私のところにもたらされました。
私がChatham(以後、ZL7と書きます)から帰って何ヶ月も経たない頃の話です。
そう、日本では桜の話題に、心が浮き立つ季節の始まりの頃でした。
情報はこうでした。「今年の10月頃、大規模な運用をやる、しかも国際チームでやるが、参加したら?」と云うものでした。公表前の計画と云いながら、メンバーはあのZL9CIを成功させたメンバーが名を連ねているではないですか。
自分の力を省みる事もなく、このチームに参加してみたいと思ったのは、いろいろな条件がすべて「AND」でつながった「見えざる手」の成せる技かどうかは分かりませんが、「これは行きたい!(行こう!)」と瞬間に思ったのでした。
そして、メンバーの中に、私のNZでの免許取得に協力してくれたZL3TY
Bobの名前があった事も、私が参加に動いた大きな理由の一つです。

Bobと私、この後、このアンテナがJAとの大オープンを呼ぶ
アンテナは、クリエートのCL-6DX
連絡を取ったリーダーのZL4HU
Kenも、私の参加表明を大変喜んでくれました。
そして「あと半年か、まだ時間は充分ある」、これが「とりあえず」でもメンバーになった私の、最初の感想でした。
もちろん本当に参加できるかどうかは、半年先の事だけど、でも強い意志で実現させるなら、その準備のための時間は確かにたっぷりありました。
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