■10月20日
結局昨夜はシャックに泊まってしまいました。
ソファーに座ったままの仮眠なので、楽ではないし寒かったが、それでも頑張って土曜日の夜を乗り切ったのです。

G4EDG SteveがFT-817の5Wで30mのCWにQRVしている。
驚くなかれ、相当なパイルアップを巻き起こしていた。
呼んでいる方も、ZL7Cが5W送信であるとは思わなかったことでしょう。
この日の
2100から、Steveの後を引き継いで7のCWに出たが、昨日の様にパイルが燃え上がらないので、2200から7のSSBに移りました。
7060でCQを出しているJA局を1局捕まえて、申し訳ないがチャンネルを確保致しました。彼はZL7Cが何者か理解できていないみたいであった。
すぐにJA2QXYがコールしてくれて「すごいですよね。ZL7から呼ばれちゃうんだから...」とひとこと。
ここを起点にJA向けのサービスを始めるが、すぐにすさまじいパイルアップになる。

何の話でしょ??ZL3TY
bobとG4EDG Steve
と、同時にオンフレで音楽を流す局がいるようで、JA側では受信が困難になっている模様です。こちらからの呼びかけに対してのアンサーバックがなかなか返らない状態が続きました。たまりかねたJA2QXYが7088へQSYしろ、と指示をくれたので、早速そこへ動いたものの、やはり妨害局がついて来て同じであった。
この時、当然DXクラスターには「ZL7C
7M SSBに現れる」は流れていたはずです。
私もそれは承知しておりました。
北米局は歯ぎしりしていたとは思いますが、今はJA向けのサービスと決めていたので、私なりに集中しておりました。

テクニカルリーダー KW4DA Dave
ところが、突然、VE6某が7088に現れ、私も思わずレポート交換をしてしまったのですが、さてこのQSOの取り扱いは???
2
時間くらいのサービスを終え、明日再び同じ時間に出てくる約束をしてJAとのQSOに終わりを告げました。
そのすぐ後に、QSX7206を指定したところ、驚くなかれ最初から大きなパイルアップになりました。皆さん待っていてくれたのですね。
数10局の北米を裁いた後、仮眠を取っていたAl(K3VN)にオペレーターを交代しました。私は、14
SSBにQSYしたところ、ここでも大きなパイルアップが待っていました。
ここでJAを中心にEuも含めてサービスをしたのです。
この日の最後で、チーム全体で36823QSOがログインされていました。

チームのシステムは彼の技術に負っている
ZL2BSJ Wilbert
ところで、ZL7Cには全部で8つの運用サイトが用意されました。
大きくSSBとCWに分けられ、RTTYやSSTVはSSBのサイトから運用されました。
各トランシーバーには、すべてロギングのためのノートパソコンが用意されており、毎日の終わりにログデーターが集計され、衛星電話を使ってZL2ARNのところに送られました。
それがすぐにログサーチデーターとして加工されて、ホームページ上でのサービスに供せられた訳です。
シャックでのすべてのパソコンのメンテナンスは、ZL2BSJ
Wilbertが行い、ZL1CN
Murryが毎朝アップロードしていました。
ハードウェアは、あのVP8THUで使われた物。ソフトウェアは、K1EAのCTでした。

ZL7C アンテナ配置図
(クリックで大きな図が見られます)
■10月21日
0930
起床
今日は、ここへ来て初めての快晴となりました。
いつものように、午前中はEuと北米向けにハイバンドで皆がサービスを続けている。
今日は晴れたので競馬場のトラックを回りまがら、
QSLカード用の写真を撮りました。
そのトラックでKenの奥さんのEmilyと顔を合わせたので、少し話しをしました。
この時、彼女が数回日本に来ている事などを、詳しく聞くことが出来ました。

Kenの家族、奥さんのEmilyと息子のWilliam
この日の昼食は、Fish
and Chips にしましたが、これがなかなかおいしいのである。
タラの半身とおぼしき大きなフライは、塩が効いていて日本人好みである。
ポテトは尋常な量ではないので、シャックのテーブルにおいておいて、皆に食べてもらっう事にしました。
夕食はケーターリングサービスで、チキンやサラダが届けられたが、これは美味かった。

ケーターリングの案内
今夜は、昨夜に引き続き7M
SSBに臨むため、1900から一旦宿舎に帰り、シャワーを浴びてオンエアに備えた。
JJ1EJH、JH4TOX両氏のサポートで(TNX ご両人)、予定通り2200から7088で運用を開始したものの、混信その他で時間的にロスをして、コンディションが下がってしまった。
妨害さえなければ、こんな無駄な事に時間を使う事はなかったはず。
大変残念だった。

同軸ケーブルを加工するSteveとDave
同じ時間、Wilbertが1830/1825でJAとのQSOを成功させている。
夜間の14と18は素晴らしい状態だが、最初のようなパイルアップはなくなって来た。
それにしても、Euはいつまでも涌いて出てくるな、と関心する。
今夜もシャックに泊まる事にした。
この日までの総QSO数は、約41,000だった。
■10月22日
この日は、私にとっての
ZL7Cでの最後の日になります。
朝からメンバーは飛ばしているようで、Euや北米のパイルアップは続いていました。
少しずつ帰国の準備を始めながらも、午後21
SSBにオンエアしました。
今日はWeekdayで、しかも呼び終わったのか21Mでもまばらな呼ばれ方であった。
いずれにしても、最後の夜である、あとは7Mと1.8Mで頑張るだけである。
この日の夜は、
Terryの計らいで伊勢エビ(CrayFish)のディナーとなった。
私が明日の朝、ここを離れなければならないので、それを気遣っての事だったと思います。このエビは塩ゆでしただけのものですが、本当に美味しいものでした。
身が大きく、甘みもあって素晴らしい味でした。
昨年この島を訪れた時に知り合った、NZ教育省の人たちも、帰りにおみやげで持ち帰っていました。

Cray Fishを持つTerryとKen
TerryはKenの友人
食事の後、自分のFT-920をパックした。
後はヘッドセットやパドルなどの小物を入れれば帰国の準備は完了するのです。
メモを整理して、頭の中から記憶の間違いを追い出し、シャックにあるひとつひとつのものを、確かな記憶に留める事を考えていると、ふっと回りのメンバーの様子に気がついた。
帰り支度を終えていたメンバーが、私の座っているソファーまで来てくれたのです。

Daveの機材を運んできたケース
私のものとは桁違いの質と量である。
「Hiro、明日日本へ帰るんだよな、寂しくなるよ」
「Bill、ありがとう、もっといろいろ話し合える時間があれば良かったけど、残念だ」
ひとしきり、固い握手が見知らぬ者同士を友人へと変えて行く瞬間を感じていました。
ハムをやっていなければ、DXに興味がなければ、海外運用に来られる環境がなければ、すべての「AND」が不思議な縁で、世界のあちこちからの仲間を引き合わせたのです。
ほんの短い触れ合いだったけど、これが始めの終わりである事を、私ははっきり認識していました。
これからは未知の者同士ではなく、「Hi
guy !」、「Hi
Hiro!」と呼び合える絆が出来たことを本当に嬉しく思います。
そうです、ZL7Cは、QSOしていただいた皆さんに差し上げたもの以上に、私の記憶に沢山のものを残してくれたのです。
Thanks
to all, Thanks for a wonderful time. Hiro
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