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VK9CV / VK9CJ Cocos keelings うるわしの島

 

ココス・キーリング島Expedition報告

JA8VE/VK9CV 斎藤邦夫



■概要
大和アマチュア無線クラブ 2003 Cocos keeling islands Expedition
期 間:2003.11.27〜12.8 12日間
運用者:中山 寿JA1KJW/VK9CJ 斎藤邦夫JA8VE/VK9CV


■ココス・キーリング島の場所
Cocos kleeling islandsはVK本土の西端Perthより、ジェット機で北西へ約5時間(給油含)のインド洋上に浮かぶ複数の岩礁です。
VK9X Christmas Is の隣りですが距離は900Km離れています。


Cocos keeling islandsは、オーストラリア本土のPerthから、北西約2700Kmのインド洋に浮かぶ岩礁です。
日本との時差2.5時間で、Christmas Is(及びJakarta)と0.5時間の時差があります。

2003年5月の大和ARCメンバーによる、VK9X(クリスマス島)Expについで挑戦すべく準備しましたが、現役組はやはり自由に休暇を取ることも出来ず、いつものメンバー2人は断念、ここの主の三宅さんはVK9CXと言うコールまで取得しましたがやはり都合つかず、結局今回はJA1KJW中山OMと 、JA8VE斎藤の2人だけ(共にリタイアー組)のExpとなりました。 
 実は(斎藤は)Cocos島は2度目なので宿泊施設もメドがあり、問題はPerth-Cocos間の重量制限だけでした。

写真は、Perth国際空港でココス島往きNC106便のチェックイン中のJA8VE。
各人9Kgの重量オーバー許可は得てあったが、結局2人で15Kg分の超過料金150AU$をしっかり取られる。
でも、それで載せてくれるのだから文句なしです。










 


■ココス・キーリング島へのアクセス
ココス島はクリスマス島と違って、Perth経由のアクセスが便利です。
Perthまでは成田から、毎週月水土に便(Qantas)があり、Perthからは月木にココス行きの便があります。
当初11月から12月にかけ1週間の日程を考えていましたが、毎回世話になっているChristmas Island TravelのLisaから航空券が取れない、もう少しのばして次の週の月曜に帰ったらどうだ、安くしておく、との連絡があり中山さんと相談、そこはリタイアー組の自由の効くところ、じゃそうしますと、豪華!ココスに11泊、Perth 1泊、全15日間のExpとなりました。
ライセンスは、VK9Xでの経験が有り、1ヶ月かからず希望のコールを取得出来ました。中山OM:VK9CJ、斎藤:VK9CV、三宅OM:VK9CX(幻のコールサイン)です。

National Jet Systems社が、Perth−Cocos島間を運行している。
BAe146 AVRO RJ 61人乗りジェット機。 窮屈な航空機で上部の荷持入れも小さく、乗客の食事もここに入れてある。中央部に座るとエンジンが邪魔で下界が見えない。


■重量制限
問題は、Perth−Cocos島間のエアライン、National Jet Systemsが、預け荷物大人も子供も区別なく1人10Kgまで、機内持ち込み手荷物は5Kgまでと、厳しく制限している点です。
但し、色々調べた結果、この航空会社へコンタクトすると書式があって、予め申請すればメールで許可証が送られてきます。むろん超過料金は10AU$/Kgしかも同じ便で送れる保証はないと明記されています。
国際線の預け荷物はエコノミーでも1人20Kgまで、通常30Kgくらいまでは超過料金を取られず、機内持ち込み重量にあっては、ほとんどチェックされないのが現状です。
かつてどこかでやった、重い同軸等を、預け荷物から出して機内持ち込み用ザックに詰め込んで・・・、と言う手法が今回は使えません。
そこで方針として、国際線で超過料金を取られるのは(金額が大きいので)避ける、即ち預け荷物は30Kg/人以下とする。
機内持ち込みも5〜7Kg/人以内とし、この分での超過は(問題にされたら)預け荷物の超過に入れて貰うように(交渉)する事にし て1人あたり9Kg、二人で18Kgまでの超過許可を事前に得ました。

さあ決めたはいいのですが、実際上記の重量に納めるのは大変でした。
料理用の秤で10g単位まで量り、重い物はすべてやめました。一番重いのはトランクでした。そこでソフトケースに変更してこれで数Kg助かります。
リニアーも、当初ALS-500Mを2台持ってゆくつもりでしたが、結局1台だけにしました。
衣類も以外と重いことがわかり、重ねて着て行き向こうで脱ぐ?と言う方法まで考案しました。
これまでに例のない12日間ですので、食料としてアルファー米やインスタントスープ類の軽い物、飽きないために日本そばも2回分(たれを含め)持って、この食料が段ボール1個9Kgになりました。
結局 2人の機材アンテナ食料等預け荷物合計:55.2Kg
機内持ち込み KJW:5Kg、 VE:7.2Kg
で55.2Kg−20Kg(2人のOK分)=35.2Kgオーバーに対して15Kgの超過料金を課せられたことになります。
これは、結果から推察すると20Kg/人までは超過料金は取らない?とも言えそうです。

持っていった主要機材は K2/100   2台(2.5Kg×2)
ALS-500M 1台(4Kg)
NotePC   1台(1.4Kg)
アンテナポールPM28 2本(3.6Kg×2)他
AC-DC電源 2台(1+1.4Kg)
Hexbeam 2基(5Kg) 等々でした。


■西オーストラリアの検疫
Perthの検疫は厳しいので有名です。
現地の人でも、その厳しさを知らない人さえ居ます。
国外からの入国者すべてに配られる入国カードの裏面に、「食べ物(何でも)を持っているか?」と言う問いがあり、これをキーに検査場所が分かれます。
持っていると言うと、荷物は開けて完全チェックされます。持ってないと言うと(多分特殊な)X線装置にかけます。
これが不思議と小さな食料でもビスケットでもわかるらしくて、開いてチェックされます。
今回食料は、全部1つの段ボールに集約して、私(JA8VE)が持って検査を受けました。
「赤いきつね」も開けられて、中に玉子の黄身(から加工した)らしい玉が入っていたので没収です。
英語で書いてないので大変と係員はぼやいていましたが、インスタントスープの袋も開けてチェックです。ライスは問題なしと開きませんでしたが、ほぼ全品種チェックされました。
で、没収は小さな黄色い玉2個のみでした。肉や玉子は入っていない物を選んだつもりですが、こういう結果でした。

実は帰りに、ココスのホテルオーナーがココス島特産の蜂蜜をお土産にくれたのですが、「これはダメなの」とPerthで没収されてしまいました。残念!どんな味がしたのかなあ?(また行かなくっちゃ!?)


■フライト
成田発20:45の便はPerthに翌朝6:00に到着します。
同日の9:45発の乗り継ぎですから、(年寄りの身には少々きついのですが、往きは気がはやっているし無理しました)ちょっと待ってすぐチェックインです。
オーストラリアにとっては国内線ですが、国際線が到着した同じ空港から出ます。ほぼ定刻通りCocosへ向け出発・・・したのですが、陸とも海ともつかない茫々とした赤茶けた地面の上を 、約2H飛んで降りてしまいました。
降りたところは紛れもなく飛行場なのですが、人っ子1人見えません。
実はここは、オーストラリアの北西端にあるRemouth空軍基地で、給油のため(行きのみ)立ち寄るのだそうです。(そんなことはどこにも書いてない!)
しかもここは写真撮影禁止です。結局往路は約5Hかかった勘定ですが、復路は直行で約3.5Hでした。

ココス島到着!飛行機を降りるとターミナルビルまでの通路に歓迎の看板があり、早速そばを通る乗客に取って貰いました。


■ココス島到着
空港では荷物のチェックは、ほとんど何も無しで外へ出ました。
空港ターミナルと言っても、奥行き30m位の平屋の建物です。外には我々が宿泊するCocos Cottagesのオーナーである、メラニーさんが迎えに来てくれていました。
荷物を車に載せて、まず途中にあるこの島唯一のスーパーマーケットへ寄って貰いました。と言うのは、開店時間が15:00までなのです。急ぎ翌日の朝食用食料を買い込みました。
コテージには他の泊まり客が居ないので、アンテナはどこに建ててもいいし、もう一つ机が欲しいと言ったら隣のコテージから持ってきていいとのことでした。
予約が取れないと言って居たのはフライトだけだったようです。歌の文句ではないのですが、TVもねえ、電話もねえ、隣近所もいねえ!なんて、HAMには夢のような場所です。

更に、このコテージ、寝室が2つ、シャワー、洗濯機付、台所には冷蔵庫、電子レンジ、トースター、電熱レンジ、鍋や皿一切が揃っていて自炊には申し分ありません。(包丁は切れなかった!)
 
コテージに荷物を下ろした所へ、前のこのコテージのオーナーのTerryさんが、私がメールで借りたいと頼んでおいたBatteryとチャージャーを持ってきてくれました。本当にありがたいことです。
Terryさん夫妻には、日本からお菓子とトリオロスパンチョスのCDを1枚をお土産に持って行ったのですが、何とお嬢さんの1人が南米に行っているとのこと、有り難うと喜んで受け取ってくれました。

初日、早速中山OMがHexbeamを上げました。このKJW特製のアンテナはとても良くできていてすばらしい性能を発揮してくれました。組立・調整はむろん手が出せません。


■アンテナの全容
着いた当日は、Hexbeam 1本半とワイヤーDPを揚げただけで既に暗くなり、日本の皆さんは待っているだろうと思いつつも既にEUが開く時間帯になっていました。
現地時間21:00の食事終了後、夜中までで中山さん既に400局とQSO、私は最初の局はなんとドバイの局、YBがとても強くインドネシア語混じりのラグチューを楽しみました。


 

 


VK9CJ中山OMのQSLカード


 

コテージの全容とアンテナ群 手前14/18 Hexbeam、右奥に21/24/28 Hexbeam、左は3.5/1.8MHz DP用ポール。南からの風が常時強くいつもしなっていました。

このCocos Cottagesは、滑走路に面しており、ココス市街?中心部から少しはずれた所にあるため、あまり人も通らず、飛行機も滅多に来ないので、「滑走路までアンテナをのばして張れば良かったかな ぁ」などと、後で中山OMと不謹慎な話をした位の所です。

右の写真はローバンド用ポール 中山OMの計算はこのポールにDPの中心部を滑車で揚げて・・・と言うものでしたが、なかなかこれが大変でした。
なぜならアンテナ線、滑車の紐、バランと同軸の重量と対風圧断面積?が中山OMが予想しなかった強風で逆らったからです。

160m用DPは、3.5Mhz用を延長して使うことにしましたが、それでも敷地が少々狭いことがわかり、急遽ローディングコイルを追加することにしました。
その辺のゴミ箱(前の写真のアンテナの前にある黒いコンテナー)を開けてみるのですが、なかなか適当なペットボトルがありません。そこで歩いて数百メートル先の前のオーナーのお宅を訪ねて奥さんのKayeさんから手頃なプラスティックボトルを貰ってきました。

 


写真は160m用ローデイングコイル 
 3.5と160mの切り替えは頻繁に行うわけではないので、夕方の明るいうちに支柱を寝かせ継ぎ足しました。大きめのペットボトルにアルミ線を巻いただけのローディングですが・・・。


■アクシデント
このローディングコイルを作っている時に、予期せぬことが起きました。
中山OMがナイフでペットボトルに穴を開けようとして、手が滑り自分の左手人差し指の腹をかなり深く切ってしまいました。
応急セットですぐに巻いて血は止めたのですが、どうも傷が深そうで心配です。
約10分悩んで金曜の4:00pm少し前だし、「やっぱり中山さんクリニックへ行きましょう」と、まずはKayeさんの家を訪ね、クリニックの場所を聞きました。
何のことはない、空港ターミナルの半径100m位に皆公共の建物は有るのです。
Kayeさん曰く、クリニックにはPham Jones(Mrs.)さんと言う女医さんが居るから、今から行くといいと教えてくれました。
クリニックは、かなりの手術も出来る立派な設備が整っていました。事情を説明すると、ナイフは土が付いていなかったかと聞かれ、ステッチした(縫った)方がいいと言われ、私に向かって「サポート出来るか?血を見てひっくり返らないか?」と言い、大丈夫と言うと手を洗ってゴム手袋をして(私も)縫い仕事?のはじまりです。

血が噴き出すので、それを助手の私がガーゼで押して吸い取るのです。
消毒も何も無し、生理食塩水をかけただけで、最初に指先に麻酔の注射、これが中山OMは痛かったと後まで言っていましたが、指先は神経が集まっているのであまり効かないのか(ふむふむ、そういうものか)と 私は1人納得(人ごと)。
麻酔がよく効かないので、縫う針を深く通すせいもあり、とても痛そー!結局ファイブステッチ、5針縫う。
終わって包帯を巻きそれでおしまい。Phamさんは破傷風を心配しているようでTetanus toxidの予防注射はしているか?と聞きます。
日本では小さいとき3種類混合で皆やっているはず、でもナイフも綺麗だったし大丈夫だと思いますと答えると、ワクチンはこの冷蔵庫にあるからいつでもしてあげると言う。
Phamさん私に向かって、(助手を)どこかでやっていたか?と聞くので実はJakartaで自分が縫って貰ったことがあって(JA8VEのジャカルタ通信「ドジ」参照)一部始終見ていたからと答えたら、「まだどこかで使える」と冗談を言われてしまいました。

終わって事務所で、氏名と生年月日シャープなナイフで左人差し指を切って5針縫ったとコンピューターに打ち込んで、また明日9:00に来なさいと言われて帰宅しました。
時間は1Hかかりませんでした。

写真は、縫ってくれたクリニックのPhamさん この写真は翌日包帯を替えに行った時の写真です。痛みもなく血も完全に止まっていました。それにしても中山OMはどこでもいつでもサマになる人です!


■コンディション
落ち目の時期にしてはHiハンドLowバンド共に良かった方でした。期待された160mも、中山OMが81局(19カントリー)、80mで307局、 私も80mのSSBで数十局はQSOして居ます。
ハイバンドは、東経96度まで行くと、もうJAよりEUが優勢で、しかもJAに開いている時間帯は現地時間の丁度夕食頃で短いのです。
14MHzバンドは日本時間の朝7−8時には開いているのですが、いかんせん出ている人がほとんど居ません。(そりゃそうです)

夕方JAとQSOしていると、そのうちEUの強い局が時折入って来るようになります。最終日には、沢山のJAの局がお待ちなのであえてコールを言わず日本語でQSOを続けていると、誰かが「コールを言って下さい!」と言うので仕方なく言うと、とたんにEUの局が ワンさと呼んで来て、後はひどいパイルになってしまいました。

Lowバンドのアンテナは、TZ6JA小原さんのセオリーに従ってDPを南北に張りましたが、まさに正解だったようです。
W方面はやはり弱くCWでも弱いのですから、SSBはなかなか難しい様でした。
それでも強い局はガツンと呼んできますが後は全く続きません。
いったいどんな設備で呼んでいるのかと気になります。
昼はほとんど聞こえず、EUサービスをするなら夜中じゅうてな調子で、真面目にやると2人のオペは結構きついものがあります。
何しろ軒下に張ったバラン無しの28MHzDPで、夜中までEUのパイルがさばけたのですから。
二人の総QSOは 8,200で内訳は次の通りでした。

  CW SSB RTTY Total
VK9CJ 4387 1036 - 5423
VK9CV

-

2026 751 2777

こんなにQSOするとカードが大変です!
いつも帰って来てから、何だか馬鹿なことをしているなぁ、と言う気分になります。(笑)

左手の包帯が痛々しい中山OM
でもQSOのペースは普段とちっとも変わりません。昼はテラスへ無線機を出し夜は各々の部屋から運用しました。


■ココス島と言うところ
ココス島は、Cocos keeling islands と言われている、約12×15Kmの岩礁と、少し北に離れたNorth keeling islandからなっています。
人が住んでいるのは、Cocos Keeling islandsの岩礁を構成するWest islandと、Home islandの2つの島だけです。
政府機関や空港はWest islandにあります。我々もここに滞在しました。
Home islandもよく整備された島ですが、マレー系の原住民が住んでおり、2つの島の間にはラグーンの内海を横切って毎日フェリーが運航されています。
Home islandの北隣に、Direction island と言うとても綺麗な無人島があり、毎週土曜日のみ、この島にフェリーが立ち寄ります。



インド洋に映える夕日を背にレストランの庭での夕食   

空港ターミナルの、すぐ向かいにあるCocos Beach Motelの食堂が、この島唯一のレストランです。
朝昼夕と毎日開いていることになっていますが、最後の土曜日の夕食に行ったら、客がおまえ達ともう1人だけでやめた由、事前に言ってくれれば作って持って 行く、とマスターに言われました。
そんなこと言ったって!と思いつつ、この日は帰って自分で作りました。
こういう事もあるので食事は予備を考えておく必要があります。でもこのレストランの夕食は、(いつも)ブッフェ形式で味も良く、アイスクリームも食べ放題、値段は18AU$/人です。
但しアルコールは無いので持ち込む必要があります。





この島の放送局6CKIです この建物はいわば政府庁舎で、同じ平屋の反対側には銀行や郵便局があります。

放送局が目に付いたので訪問することにしましたが、人が来るのは12:15からランチタイムだけとのこと、その時間に会わせて放送局の前で待っていると確かに誰か来ました。

 

 

 



放送局のスタッフKarenn Singer嬢と

この放送局は、8畳くらいの広さしかないスタジオです。送信機器はどこにあるのかわかりませんでした。壁には10人を越えるスタッフが一緒に写った写真が張ってありましたが、彼女はここで12:15から15分間だけローカルニュースを読み上げていました。それで彼女のこの日の担当業務は終わりのようでした。なかなか魅力的なお嬢さん(多分!)でした。実はベリカードがないか尋ねたのですがありませんでした。まあ、ここではそんな変な?ものを集める人は居ないのでしょう。



放送局のマネジャヤーClayton Lee氏と

我々が放送局を訪ねた翌日、なんとこの放送局のStation ManagerのClayton Lee氏が、我々のQSO中に訪ねて来ました。
興味があるらしく、かなりの時間見て行きました。
我々もしばしQSOを中断しておしゃべりしました。
要は、ここはあまり変化のない島ですから、たまに変なのが来ると興味がある?のでしょう。 

写真は、とある日の朝食 トースト(マーガリン付)、コーヒー、スープ、ポテトサラダにベーコンと冷凍ベジタブルの炒め物トマト付、パパイア、牛乳、ヨーグルト

キッチンウェアは完全に揃っていて、冷蔵庫は十分大きく、電子レンジも使えて料理環境は全く申し分ありません。
スーパーから缶ビールを買ってきて入れても冷蔵庫はガラガラ、生ゴミを捨てるポリ袋までありました。我々はここでは朝と昼は自炊、夕食は缶ビールを1本づつ持ってレストランへ食べに行く生活でした。しかし、あまり運動もせずに毎日3食食べていると太りそうでした。

島の南端のビーチで 飛行場のずっと先まで自転車で約30分かけて行くと美しい砂浜が広がっていました。この写真、モデルが良いのではなく風雨に耐えてきた椰子の木がすばらしいのです。

道路脇でカニが穴から出てくるのを待っている中山OM

ビーチへの途中の道は、椰子の木が両側から覆い被さるように茂った道で、椰子の実がゴロゴロ落ちています。
一度すぐ近くにドスンと落ちてきました。1人で出かけてはいけない理由の一つです。
道ばたには無数の穴が明いていて、自転車が通るとカニが一斉に逃げ込みます。中山OMはそのカニの撮影を試みましたが根負けして失敗です。

左の写真は終段807 3パラの送信機! Home islandへ行ってこの島を散策した時、島のMuseum(平屋の建物)があり中に古いフランス製の送信機が展示してありました。中山OMが早速パネルを引き出すと懐かしい807が使ってありました。

昔戦争中、日本軍の飛行機が爆撃してこの島の守備隊長が3日後に亡くなったと言う古い説明がありました。どうやらそれだけだったようですが、それにしてもよくこんな所まで飛んできたものです。

下の写真は、抜糸! 中山OMの負傷から丁度1週間目の金曜日、Phamさんに抜糸して貰っているところ。

縫ってから翌日は、チェックと包帯を替え、4日目に包帯を取ってしまいました。
糸が出たままで引っかかるので、自分で絆創膏を巻いていたようですが、丁度1週間目にクリニックへ行き抜糸して貰いました。縫ってある糸を切って 、ピンセットで抜き取るだけです。
すぐ終わって経過良しOKです。それにしても驚いたのが、医療費タダです。
オーストラリアに税金も払っていないのにです。離島だからかどうかはわかりませんが、これが福祉社会の姿なのかもしれません。「なんだか日本で怪我するより良かったね」と話しながら帰ってきました。

Cocos CottagesのオーナーであるMelanie Wattさんとスコット・ブライン氏と一緒に記念撮影

私が9月に、このコテージに泊まった時のオーナーは、Terry Washer & Kaye Washer夫妻でした。
ところがその後、この施設を売却したとのこと、新しいオーナーが上の写真のお二人です。Kayeさんにメラニーさんのスペルを教えて 、と言ったら、みんな教えてくれて、この2人まだ結婚してないのとのことでした。
でもそれは当方には関係ないことです・・・。


■帰路
12日間も、あっという間に終わって、12/8(月)NC109便でココス島を16:00に出発、Perthに21:40に着きました。
復路のココス島でのチェックインは、食料9Kgが減っているものの、他は重量的に変化無いはずですが、何も言われませんでした。
この日はPerthに泊まり、翌日12/9(火)昼間にPerth市内をのんびり観光して夜中のQF70便20:45発で成田へ向かい 、翌12/10(水)朝8:50に無事成田へ着くことが出来ました。

JAの皆さんには、充分なサービスが出来たとは言い難いのですが、沢山の方々に呼んで戴き、有り難う御座いました。
コンタクト出来なかった方々には、次の機会にお目にかかれることを願っております。



椰子の木の切り口  年輪が無くタワシが沢山作れそう?



島で見つけた赤いプルメリア

2004年 2月 記す
 

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