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V73X  マーシャル諸島


■マーシャル共和国

空はどんよりとして、時々薄日が差していたのですが、マジュロへ降り立つ頃はまったく陽も見えなくなりました。
おかげで眼下に細長い、本当に細長い環礁が見え始めた頃は、所々に街灯の明かりが見えるだけで、折角の島影が薄れて良く見えませんでした。
一体、こんな細長い島のどこに滑走路があって、ちゃんと降りられるだろうか?と真剣に心配してしまいました。

  

マジュロ環礁の地図 (作成:V73MJ木村さん)

飛行機はぐっと高度を落とし、この日1番の安定さで着陸に成功しました。
窓の外に見える景色は、クワジェリンに次ぐ広々とした感じで、何だかちょっとホッとしました。
「堀越さん、長旅お疲れさま、やっと着きましたね」



マジュロの出発ゲート側から見た滑走路
他のミクロネシアの島よりかなり立派に見える

グアムを発って、早くも10時間近くが経ちました。
「よっこらしょっと」、リグの入ったボストンバックとデイバックを担ぎ上げ、一段一段タラップを降りて行きます。
慣れた南国の湿気と風に吹かれながら、ターミナルの建物に歩いて行きます。
ジェット機のエンジンはゴーッと鳴り続けていて、この飛行機がこの先もまだ飛び続ける事を示しています。
滑走路をターミナルに向かう我々は、どうもほとんど一番最後の様で、後ろに並んだのは1人だけでした。
今、入国審査の窓口に並んでいるのですが、いつまで経っても遅々として進みが鈍いなぁ。
南の島に来て焦ってはいけないと思いながらも、自分たちが乗って来た飛行機が轟音を立てて離陸して行くのを見ても、まだ同じように並んでいるのでは、さすがにいらいらして来ました。
もうこの時点で少なくとも40分くらいは並んでいたはず。
我々の前は、フィリピンのパスポートを持った一団が並んでおり、彼らは労働者として来たのだろうか、厳しいチェックを受けているようでした。
こちらはそれが終わるまで延々と並んでいるのですから、さすがに少々堪えました。
ふと左の柵の向こうを見ると、乗客の荷物が出されているではないですか。
しかも、こんな時に限って自分の荷物が早くも出ているのです。
こちらはまだ入国すらできないのに、荷物だけはもうマーシャルに入っている訳です。
正味1時間がたっぷり過ぎようとした頃、やっと順番が回って来ました。
係官は日本人と云っても良いような顔つきですが、やはり日本語はダメでした。
簡単な英語のやりとりがあって、ようやく入国が許されました。
堀越さんも無事通過。
これで本当にマーシャルの土を踏んだ事になります。
荷物を引き上げ、出口に向かって歩いて行くと、先にグアムからご一緒していた小林ご夫妻が、日本人の男性とともに我々を待っていて下さいました。
「何かひっかかったのですか?」とその男性がおっしゃいました。
続いて、「V73MJ 木村です」とおっしゃいまいた。
あ〜何と、木村さんがわざわざ出迎えに来ていただいたのです。
しかも、大変長い間お待たせしたようでした。
「初めまして、JF1OCQ 三宅です。この度は大変にお世話になります。」
我々のマジュロでの滞在は、ここからスタートしました。

木村さんとは明日改めてお会いする事にして、とにかく我々はホテル差し回しのバスに乗る事になりました。
しかし、そのバスを見てびっくり!
既に先のフィリピンの皆さんがびっしり乗り込んでいるし、荷物が山のように通路を塞いでいる状態でした。
小林ご夫妻が後部席にお座りだったので、何とかそばに座らせていただき、バスは出発しました。
まるで、闇米買い出しツアーはこんな感じ..と思わず吹き出したくなる格好です。

バスは途中、真っ暗な中を低速で走りながら、一路空港と正反対のホテルを目指します。
空には、厚い雲が見えてはいるものの、その隙間からはこぼれるような星の数々が光を放っています。
窓際に腰掛けた私は、窓を開け放って空を見上げていました。
北緯7度、ほとんど赤道直下と云ってもよいこの国の星空を、じっくり観察したかったのです。
バスに揺られて約20分、ようやく島一番の繁華街がある地域で停まりました。
ロバートレイマーズ、これが我々のホテルの名前です。

ホテルには部屋が2種類あって、我々はラナイと云う種類に泊まりました。
これは、2階建てのアパートメント形式で、少し高さが稼げるのと、ベランダにアンテナが立てられると確信したからでした。
もう一種類は、海浜に面したところにあるコテージタイプですが、こちらはアンテナ設営に難がありそうなので避けました。
実際、現地に行ってみた感じは、思った通りでした。
コスト的にも前者が安いので、簡単なDXバケーションならばそちらをお勧めします。
ちなみに部屋番号は#12です。
2階の角部屋ですので、ここを指定することをお勧めします。



奥行き10m、幅4mほどのラナイルーム(角部屋)
入り口側から見ている




同じ部屋をベランダ側から



見えにくいが、一番奥が我々の部屋

やっと辿り着いたマジュロ....
逸る心を抑えて簡単な準備だけを行い、今日は休む事にしました。
何と云っても、明日の朝0800(0500JST)に第一声を出す事になっているのですから....

第1日目 (7月4日)

アンテナは、HFはデルタループを組み上げて、第一声を発する時間を待ちました。
最初の一声は、21.270のSSBと決めていましたから、日本ではローカルの皆さんが、そこで待っていてくれるのは充分承知していました。
期待に胸躍らせてワッチしても、何だかノイズのレベルが高いではないですか?...ややや、これは....と思いつつも、時間通り第一声を発しました。
「Hello CQ CQ CQ  Victor seventy-three Xray Xray ...」
ん〜ん、応答がない...ではCWでやってみよう...
これも応答がない...
しばらくこんな事を続けてみたものの、結局誰ともQSO出来ませんでした。
日本では、今か今かと待ち続けているはずなのに....
「やっぱりそうだ...日本以東は現地の朝から午前は、日本とのパスがないのだ。ミッドウェイの時もそうだった...こりゃ厳しいバケーションになるかもしれない」
オペレーターを堀越さんに変わっていただいたが、やはりうまくないようでした。



V73AA 堀越OM

30分後に、V73MJの木村さんが我々を訪ねて来て下さいました。
事情をお話すると、多分午前中はダメだから、その時間を使って島を案内してあげましょう、と云って下さいました。
これには、我々2人は大感激、木村さんのお仕事の都合も考えず、2つ返事でお願いする事にしました。

ホテルの外に、木村さんの愛車ゴルフが停まっていました。
リアバンパーには一見して自作と分かるヘリカルアンテナ、助手席にはMFJのアンテナチューナーが、どーんと置いてあります。
木村さんのお話では、8MHz帯に離島との電話回線があって、そこの周波数をいつも聞いているとのことでした。
(これは全くの冗談ですが、もしその周波数で「木村さん、木村さん、聞こえますか?」とやれば、返事が返って来る確立は高いですね...もちろんこれはジョークですよ)



  

愛車のゴルフで駆けつけてくれた、V73MJ木村清和さん
短波帯のいずれにも出られるようなアンテナを搭載しているが、アンテナも、マッチングボックスもすべて自作と云う。


昨夜バスに揺られながら見た町並みも、太陽の下で見てみると、やはり雰囲気は随分と違います。
思ったよりもずっと交通量は多く、やたらにタクシーが目に付きます。
木村さんのお話では、空港の手前の橋までが50セントで、そこから先が$1.5との事でした。
タクシーは皆乗合で、どこでも手を挙げて乗車できます。その際に、自分の行き先を告げればOKとの事。
後日、私もこれを実践しますが、慣れると大変便利な乗り物である事が分かります。

さて、木村さんに連れられて、最初に行ったのが彼のオフィスでした。
彼は日本国外務省派遣(JICA)のシニアボランティアで、マーシャル諸島共和国の運輸通信省にお勤めです。
主に無線関係の制度を確立するべく赴任されているようですが、何せ人も、物もない中で、機械の修理やアンテナの整備に東奔西走されているご様子、本当に頭が下がります。
彼のオフィスは、ツナ缶工場の一角にあり、正直生臭い匂いのダメな方は、ちょっと辛い場所かもしれません。
余談ですが、この工場はマジュロ唯一の工場だそうです。

コンクリート製の建物の中は、エアコンがしっかり効いていて、快適です。
数名の職員の方にご挨拶をさせていただいて、彼のお部屋に通されました。
海に面した部屋に、立派な机がありました。
そこには、やはり電話をワッチ出来るように、ちゃんとアマチュアの機械が置いてありました。
このお部屋で、マーシャルにおける業務無線やハムについて、いろいろお伺いできました。





運輸通信省にお勤めの木村さん、海に面したオフィスをお持ちです。
この事を見ても、役所で重要なお仕事をされているのが拝察されます。


その時、私の免許の話から、「2×1のコールサインを希望するならOKだよ」と云う事になって、図々しくも「今からでも変更可能ですか?」と伺ったら、すぐにマネージャに聞いていただきOKを貰いました。
この時ばかりは、本当に嬉しい気持ちになりました。
さっきまで、誰ともQSO出来ずに落ち込んでいたのに、逆にQSOしていないが故にコールサインの変更ができた訳ですから、これまた皮肉な話しです。
その場で新しい免許状(V73X)をいただき、嬉々としてオフィスを辞して、島内観光にお連れいただきました。

これもすべて木村さんの手作りアンテナ
オフィスの裏側に立っている。
上の4エレ(21MHz?)のエレメントは、竹の釣り竿にアルミホイルが巻いてあるそうです。
右端に、T2FDが見える

彼のオフィスを出て、今度は彼の自宅にお連れいただきました。
日本大使館やアメリカ大使館からさほど離れていないところにある、一軒家が彼の住まいでした。
きれいに整理されたお部屋の中は、想像していた「男の1人住まい」とはほど遠い、大変素晴らしいお宅でした。
シャックには、HF機やリニアが整理されて置かれていて、木村さんの性格を表しているような気がしました。



木村さんの自宅のシャック

そして、何より驚いたのは、裏庭に設置されたアンテナの数々です。
7MHzのフルサイズのバーチカルもさる事ながら、タワーまで材木で作り上げたというキュビカルクワッドが圧巻でした。
14から50MHzまでの2エレのキュビカルクワッド(50MHzだけ4エレ)は、スプレッダーもブームも全て材木で出来ています。
金属材料の乏しい島国で、いかに木村さんが創意と工夫の中で活動されているかが、この一事に集約されています。
お仕事の上でも、壊れたテレビのアンテナを使って、病院のための通信を確保しているとお話されていましたが、まさにそんな現実と毎日向き合っておられるのでしょう。
そして、写真にも写っているタワーも、すべて材木で出来ていて、木村さんが自身で立ち上げたものだそうです。

凄い! 随分長く忘れていた、木製のタワーがここにある。

その他にも、島の一部についてご案内いただいたおかげで、少しではありますが地図と実際が、私の頭の中で結びつき始めました。
そしてお昼は、海にほど近い(と云っても、マジュロではどこでもそうですが)中華レストランで美味しいランチをいただきました。

午後は木村さんのお仕事を邪魔してもいけないので、ホテルまでお送りいただき、我々はいよいよ本格的な運用に備えました。
この日の午後、まずは堀越さんの運用から始まりました。
さすがにこの時間になると、JAも聞こえ始めるのでかなりのパイルになっているようです。
私はこの日の夕方(日本は-3時間)に、21MHzのSSBで念願のJH1QVW斉木さんとQSOに成功しました。
いつもながら、ローカルの声を聞くのは嬉しいものです。
お互いの元気な声を聞き合うのは、ハムだけに許されたものですから。

この他に、JA1ADN井原OMからも、衛星へのQRVについてお問い合わせがあったり、JH3DJX枚田さんが、JN1BPM鈴木さんとのやりとりなどをQSPしてくれました。
実はこの日、0603ZにJK1DVXとRS-13のTモードで初めてのQSOが出来ていたのです。
日本では、私の信号が聞こえているのに、私のオペレーションが未熟なために、彼らの信号がつかみきれずQSOにならない中、DVX局が私のテクニックをカバーするような呼び方をしてくれたおかげでQSOが成立したのです。
このQSOは、その後の数日のRS-13への運用に大きな力を与えてくれました。

この日の夜、初めての夕食をホテルのレストランで摂りました。
アメリカンタイプのレストランですが、メニューには「SASHIMI」や「YAKITORI」の文字が踊ります。
私は、「SASHIMI」と云う響きに負けて、早速注文。
出てきたものは想像よりずっと良いものでした。さすがにマグロ船団の入る港だけの事はあります。生マグロを「WASABI」と「KIKKOMAN」でしっかりいただきました。大皿一杯のマグロの刺身は、3人前と云っても良い位です。

夕食後、堀越さんと私で交互に運用を始めましたが、コンディションがいまひとつパッとしなくてQSOの数が伸びません。

第2日目 (7月5日)

マジュロの早朝から、やはりコンディションはパッとしません。
朝、木村さんのお誘いで、マジュロの最もはずれに位置する海岸へお連れいただく事になりました。
この日は、マーシャルのナショナルホリデーで、全島が一斉に休みになりました。
マジュロは大きく2つの島からなり、空港のある方の島はケーブルテレビのサービスがないなど、多少の不便さがあるようです。
その突端に、白砂の海岸が広がり、釣りにも打ってつけだと聞かされては、釣りの好きな私としては居ても立ってもいられません。
車に揺られること約30分。
背の高い大きな椰子の林を抜けて、目的地に到着しました。
そこは、写真に出てくるような海と海岸が広がり、浜辺近くには背の高い大きな木が日陰を作っています。
我々は、その大きな木の下にゴザをひき、何とダイポールアンテナまで設営してしました(笑)
我ながら、ハムって分類はどこまで行っても、無線の事が忘れられないみたいですね。
ここでマジュロへ来て初めて、本格的な釣りをしました。
ここではルアーではなく、主に餌づりをしました。
引き潮のタイミングだった事で、ルアーには向かなかったからです。
JI1NIQ野原さんに教わった通りの仕掛けを使い、あっと云う間にハタの仲間を釣り上げ、私自身のボルテージは上がる一方です。
その後も時間をおかずに釣り上げるので、いつの間にか地元の子供達に囲まれてしまう始末。
彼らは、ルアー釣りやリールの付いた釣り竿が珍しいのか、盛んに貸してくれとせがみます。
そんな事をしている内に、楽しい時間はどんどん過ぎて、いつの間にか午後も遅い時間になっていました。
木村さんにホテルまで送っていただき、週末のコンディションの上昇に期待を込めて運用を行う事にしました。

第3日目 (7月6日)

この日は土曜日と云う事もあって、前日までとは少し違う様子を見せていたようです。

この日は、マーシャルでの大きな釣り大会が開かれていて、午後5時頃に埠頭で水揚げがあるから見てみたら、と云われていたので、夕方カメラを抱えて行ってみました。
さすがはマグロ漁のマーシャルだけの事はある。
初めて見るような大きなマグロが続々と水揚げされます。
200kgを超えるような巨大カジキを、一体どんなテクニックをもって釣り上げるのでしょうか?
埠頭に置かれた大型クレーン車が、ボート1隻づつ順番に獲物を釣り上げますが、そのたびにギャラリーからは大きな歓声や溜め息が漏れて来ます。
多くはアメリカ人で、このために毎年マーシャルを訪れる人が少なくないと聞きます。
そして、この日最大のカジキマグロを釣り上げたのは、何と日本の方でした。
真っ黒に日焼けした顔は、まるで現地の方に見えますが、貼り出された名前は紛れもない日本人の名前でした。
顔見知りのアメリカ人から大きな祝福を受けながら、照れたようなその方の笑顔が印象的でした。











それぞれの画像をクリックすると大きい画像で見られます。

この日の夕方、JA1JQY松井OMとQSOに成功しました。
その他、待ちこがれていた方々とも、やっとこの日にQSOできました。

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