JA1KJW/AK0J 中山
寿

JA1JQY松井、JA1KJW中山の2人組は、2005年11月15日に成田からマーシャル、そしてミクロネシアへ向けて出発致しました。
今回はGUAMで1泊し、翌日の午前10時にGUAMを離陸して、チュークなど4つの島に寄りながら目指すマジュロは5つ目の島である。(前回V7 DXped報告参照)
11月16日の現地時間19:00にマジュロ到着、
空港でV73VE斎藤さんの出迎えを受け、ホテルレストランで再会を祝しカンパイ!をしました。
その後、早速7/10MHzのDPを仮設して、23時から待ちきれないようにQSOを開始しました。
翌朝17日は他のアンテナを設営し、午前中で3.5MHz用を除き完了しました。
その日の午後、スコールの中3.5MHz用を上げるが、何故かSWRが高くて調子が良くな
くて、試しに高さ6mぐらいに給電部を下げると幾らか良いので、その状態で良しとし、これで設営は完了。
いよいよ本格的に運用開始、この時期としては良く飛んだと思っています。
特に3.5MHzはNA,SA、EU、JAとパイル楽しむ事が出来ました。
18日はこちらのCQにも応答がないので、それでは
、とばかりに目の前の海でシュノーケリングを楽しみました。
今回は地下足袋を持って行き、サンゴの岩場を歩くのにはGOODでありました。
色とりどりのテーブルサンゴと熱帯魚と戯れたのです。
この日の夕方には、Spider-beam,HEXbeam、そして3.5MHzのアンテナを撤去し、翌19日の03時、7MHzを最後に今回のV7の運用を終了しました。
19日朝、マジュロ空港で我々は斎藤さんと合流し、いよいよミクロネシアへ向かいます。
ここでの手荷物検査で、キャリーオンしようとしたトランシーバーの電源を入れて見せろ、と云われ、仕方なく預け荷物とした。
10:40マジェロを離陸。
V6 ポンペイ
2005年11月19日 15:18着陸
今回のホテル(http://www.southparkhotel.net/j/hotel.html)は丘の上で眺めも良く、電波も飛びそうな所だ。
16:00からアンテナ設営開始、ヤシの木に登って滑車をつけて貰う、これに3.5MHzと10MHzのDPを付けた。

椰子の木の上の方に、人が登っている


いつもの3人組と今回使用したアンテナ
Spider-beamも順調に組み上がるが、他の泊り客が何してるのと近寄って来た際、その時に何と彼が釣り竿を踏みつけ折れてしまった。
文句を云っていても仕方がないので、添え木をして修復を図り18:30完了した。
このHOTELのオーナーは日本人で、立派なレストランもあり、ちゃんと日本食もああります。
我々日本人には少々量が多すぎる機がします。
島の人は太っていないと南洋の美人ではないらしく(?)、殆どビックで有る、hi....

ごはんとみそ汁、冷や奴にはきゅうりが添えてあります。
マグロの刺身にライムが添えてあり、わさびも見えます。
見たところ左側のハムはSPAMの缶詰ハムみたいですが、日本食がないと生きて行けない私にとっては、とても魅力的な献立に見えます(編者注)
さて、3.5MHzから運用開始すると、いきなり猛烈なパイルである。
同時にV63JYが10MHzでもQRVを始めた。
V63VEも14/18MHzでSSBとRTTYで運用開始したが、こんな感じで終日パイルアップが続いた。
ANTは1.8/3.5MHzがDP、7/10MHzもDP 14/18/21MHzがSpider-beam、21/24/28MHz HEXBeamと云う構成でした。
21日はタクシーで島内観光
レストランのウエイトレス“メリーさん”の旦那さんがタクシー運転手との事でお願いし、この日は近くの観光地を回る事とした。
ポンペイは1595年にスペインが自国の領土と宣言したが、1899年にドイツに売却し、1914年に第一次世界大戦が勃発し、大戦の終了後、戦勝国の日本がその管理下に置きました。
1945年の太平洋戦争後、ここはアメリカの信託統治領とされていたが、1990年に独立し
て現在に至ります。

スペイン砦

教会

上の写真はスペイン時代島民からの攻撃を防ぐスペイン砦、左上はドイツ鐘楼・カトリック教会ドイツ時代1909年に建てた教会跡、
更に日本軍の戦車がメインストリートの駐車場に置かれていました。
(編者注:写真は旧日本軍の95式軽戦車)
日本車も多く交通のお巡りさんが整理していた、日本で廃ガス規制に引っかかった車は規制の無い国にバラ撒かれおり、地球規模で考えると意味無いじゃん!

22日ナン・マドール遺跡見学ツアー

ビレッジホテル
車で20分ほど
、ビレッジ・ホテルへ行くと眺めの良いレストランである。
我々3人と他1名で、ボートによるツアーに参加した。
30分ほどで小さな無人島に到着、ここで1時間ほどスノーケルを楽し
んだが、残念な事にうっかり写真を撮るのを忘れてしまった。
再び20分ほど走り、ボート乗場から歩いて10分ほど
の所にあるケプロイの滝に行った。

ケプロイの滝
この滝は高さ20m幅30mほどで水量も豊か
な見事な滝である。
この滝つぼで泳ぐ事も出来て、中には大きなウナギが沢山いて、弁当のご飯を斎藤さんの手から食べたりした。
うなぎは長さ1m以上のありそうで、口も大きいのでびっくり。
滝までの両脇は植物園の中を歩いて居る様だ。
再びボートに乗り20分
ほど走った。
そこはまさに未知の世界あった。
巨大な石柱を井桁状に組合せた おびただしい数の建造物が残されている。


建造されたのは西暦500〜1500年頃とされ
、ここが政治と信仰の中心地ではと言われている。
その広さは1500m×600mの海域である、6角形の石柱は3〜5m直径30cmくらいで、重さは10トンくらい有るのでは
ないかと創造されます。
こんな物を、一体どの様にして、何処から運んだのか全くの謎である。
各施設は水路で結ばれており、ミステリーゾーンの海上都市である。
ここを2時間ほど見学し帰路に付いた。
ビレッジ・ホテルでタクシーを待つ間、それぞれジュースを飲みながら素晴らしい景色を堪能する。
楽しい想い出を心に刻みホテルに到着??荷物が無い!!
あっ!タクシーのトランクに入れ忘れた!、幸いホテルの従業員がそれを見ていたものだから、早速タクシー会社に電話を入れて、直ぐ持ってきて貰
った。
全員がポーとしていた様ですHi!
サーお仕事だ〜パイルと格闘開始。
斎藤さんは最後の夜である、RTTYも100局超えた様子
。

V63JY松井OM

V63JQ中山OM

V63VE斎藤OM
11月23日
早朝からスコールが激しい、少し小降りになったところでSpider-Beam ANTを分解、斎藤さんが持ち帰る準備をする。
また、このホテルの配置図を書く為の測量、今後来るペデショナーへの資料を作成しておこうと考えての行動。
朝10時過ぎ、斎藤さんはマジュロへ戻るために空港へ出発。
今日はコンデションも今ひとつパッとしないので、ホテルの近くの木彫り工房など見学しながら街中を散策する。
学校もいろいろあるが、子供が多いし犬も多い。

木彫り工芸品

子供は元気で生き生きしている
11月24日
朝食後、全てのANTを撤去
して帰国の準備をする。
12時には出国手続き完了して、近くの中華レストランで昼食を摂りました。
14:40に離陸 シャンパンで乾杯し眠りに付くが、チューク島でまた検査
を受ける。
17:00 無事にGUAMに到着したが、長物のANTが出て来ない
。
ちょっと心配したが、別なターンテーブルに出ていた。
18:00に今夜のHOTELに入る事が出来た。
どうも機内でいろいろ食べたので腹が空かず、ホテルの隣のABCストアーでおにぎり
やお稲荷さん、冷えたビールを買って夕食とし、この日は早々にベッドインした。
11月25日
朝6:30 恋人岬に行こうと
、二人で1時間ほど歩いてやっと到着したが、開園時間は8時からとガードマン氏が言うので仕方なく20分ほど
ぶらついて入ったらただの公園であった。
50cmもありそうな大きなトカゲが日向ぼっこをして、近寄ったら茂みに逃げていった。

帰りは海岸へ降り海辺を歩く、久しぶりの運動だった!
13:00成田へ向け離陸、15:30に無事に成田へ到着
した。
今回荷物は最初に出てきたのでニッコリ。
アンテナは宅急便で送り出し、我々はバスで横浜へ向かう。
18:30にはそれぞれ無事帰宅出来ました(やれやれ)
さて次はいずこに??
QSO 総数は以下の通りでした。
V73KJ
/ JA1KJW:883
V73JY / JA1JQY:306
V63JQ
/ JA1KJW:1732
V63JY / JA1JQY:1451
V63VE / JA8VE:712
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