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ジャカルタ通信


ローカルブレイク

昨年の出来事ですが、私のジャカルタ住まいで日本人HAMと初めて1st QSOした?時の話です。
最初のコンタクトは自宅のe-mailに次のようなメールが入って来ました。「JL1EEE井上さんに紹介されたのですが、斎藤さんは今どこに居ますか?」と言うのです。

 タマンミニで両手にいや両肩に華のJO2QGP松田さん

この方はJO2QGP松田さんと言って「仕事で急にジャカルタに来ており勤務する会社の直ぐ裏にあるホテルアンバラに滞在していますが、週末を持て余しています」という事でした。



JA8VEのアパートから見たホテルアンバラ

驚いたことにはこのホテルは私のアパートから、オーイと呼べば届く距離にあるのです。時差2Hの遠方から来て、ものの300mの距離に居ると言うのですから、何か運命的な?出会いです。
早速電話して直ぐそっちへ行くよ、とおつきあいが始まりました。
もちろん、松田さんとは初めてお会いしたのですが、前掲のお姿通り何かしら既にインドネシアには適性?がありそうなOMでした。

それからと言うもの夜な夜な、いや毎土・日は、出歩くことになりジャカルタの秋葉原と言われているパサール・グロドックをうろついたり、土曜日の夜は歩いて行ける所にあるスナックへ通い、松田さんは歌い且つ店の女性にインドネシア語を教えてもらうと言う生活をしばらくして、やがて松田さんは恋しい妻子が待つ日本へ帰ってしまわれました。

松田さんと良く行っていたスナックで、左からママ幸子さん、やはりジャカルタに赴任されているJA0JHA皆川さん、JA8VE斎藤、JO2QGP松田さん




 このお店で一番若いメイランちゃんと一緒のJA8VE

 パサール・グロドックで、使うあてもないのについ買ってしまった807(中国製の新品、千円相当でした)

インドネシアの伝統的なパサール(市場で)すっかりお気に入りの松田OM

実は松田OMは1.5ヶ月の勤務を終えて帰国後もう一度来られて、私と同じアパートに更に1.5ヶ月滞在して帰られました。
その後、私は飲み歩く友人がないまま、真面目な生活に戻って?居ます。

この写真は松田さんも暮らしたアパートです。松田さんには懐かしいでしょう?

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