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2006 V63 IOTA Expedition  #1 (Kosrae観光編)


V63VE/JA8VE 斎藤邦夫

コスラエ島(Kosrae Is. 旧日本名クサイエ島)

 V63の島々を巡ってみたいと考えたのは、200511月に松井・中山両OMとポンペイへ行ったことがきっかけでした。
ポンペイがとても気に入り他の島々はどうなんだろうと言う強い興味がわいたのでした。

 今回の旅は、グアム経由まずコスラエまで行き、コスラエ−ポンペイ−チュークと帰路楽なコースをとりました。

コスラエ島地図(ミクロネシア連邦政府観光局公式サイトより転載
 
面積110?の小さな島ですがコンチネンタルミクロネシア航空の国際線が入っています

 DXペデイションでいつも頭を悩ますのがホテルの選定です。
実は、JA8VE斎藤がマジュロで、コスラエに勤務されているJICAシニア海外ボランテイアの浅尾さんにお会いしたことがあり、「コスラエには北側に見通しの良いホテルが有りますか?」と聞きましたら、メールでKosrae Phoenix Resortが良いでしょうとのご返事を戴きました。
ホテルの位置は、地図の北東部の出っ張りの少し南側で申し分の無い場所でした。
海に面し庭も運動会が出来るくらい広く隅のアンテナが小さく感じられる程でした。

レラ島への道 レラ遺跡のあるレラ島へは道路で繋がっていました

地図にはLeluと表示されていますが、案内してくださった浅尾さんに依るとレラ(とかレル)と発音するのだそうです。
この島は一つの村になっていて、店も何軒かありました。
レラ遺跡は入口によってはお金を取られるとのこと、無料で入れる所から遺跡を見ました。

レラ遺跡1 玄武岩と思われる火山性の石組みの遺跡です

レラ遺跡2 遺跡の案内板が比較的最近作られたとのこと、しかし早くもかなり荒れていました

石組みの穴 何に用いられていたのでしょう。ここは1400年頃Leluの王朝が支配した都の跡だそうです

この15世紀の都の跡も隣接して小学校があり、生徒の通学路にもなっていました。

レラ島山頂にて レラ島にはかって旧日本軍の監視所があったとされている

この山に登りたいと浅尾さんに案内を頼みましたが、登ったことがないとのこと。
道案内を近くにいた子供達に頼んで登りました。
今は山頂に携帯電話システムのアンテナタワーが建っており、草木が茂り全く展望は効かず戦跡も見あたりませんでした。

レラ島山道の防空壕跡 草が茂った山道の所々にある防空壕跡

山道を下る時、案内してくれた子供達が防空壕跡があるのを教えてくれました。
我々だけでは全く気づかなかった戦跡です。

選挙ポスター 丁度コスラエの選挙日が間近とかで、店の壁に沢山ポスターが貼ってありました

ガソリンスタンド やっと見つけたガソリンスタンド、いや給油所と言う日本語の方がぴったりします

車にガソリンを入れるため、近くにガソリンスタンドがありますか?と何人かに聞きました。
皆同じ様な場所を教えてくれるので半信半疑で行ってみたら、まさしく給油所でした。
1ガロンずつプラスティックのボトルに既に入れてあり、3ガロンと言うと3ボトルをじょうろで注いでくれて、3.95$でした。
むろん完全マニュアルですから電気等の動力は不要です。

対岸からのレラ島 レラ島との間は入り江になっておりボートの桟橋も奥にありました

レラ島をあとに島の先へ行こうと、まずはレラ島の丁度対岸で車を止めて居たところ、前の家の若者が、直ぐ近くに旧日本軍の階段があると案内してくれました。

監視所階段1 民家の庭にあるコンクリートの階段

監視所階段2 上から見た階段。109段あると案内の若者が言っていました

監視所跡1 案内の若者はNenaさんと言いここに生まれ育ったとのこと。コンクリートの柱が残っていました

監視所跡2 頂上の建物跡。レラ島の山と対を為す場所としては良い場所です

旧日本軍戦車 監視所の階段の前の海岸に戦車(九五式戦車?)の残骸がありました。草木に覆われていて、Nena氏が草木をかき分けて見せてくれました

コスラエの幹線道路とも言うべき海岸を走るたった1本の道路の脇、それも海岸とのほんの少しの間に、まるで草木が覆い隠しているような戦車でした。

海岸の残骸1 コンクリートミキサータンクの様に見えましたが、これも旧日本軍のものだと言っていました

海岸の残骸2 何の機械だったのでしょうか)

車で更に先へ行くに当たり、Nena氏に良かったら案内して欲しいと言うと快くOKしてくれ同乗して出発しました。

トーチカ跡 浸食か砲弾によるものか分かりませんが、海岸に残る崩れたトーチカの跡。場所はマレム村の近く

旧日本軍通信所跡? マレム村近くの海岸にあり、側面に穴があり建物は傾いでいましたが土台は水平を保っていました。一説には日本軍が自ら破壊したと言います

太平洋諸島センターが出版している観光案内書「ミクロネシア連邦」には、マレム村には旧日本軍司令部が置かれていたとの記述があるが、この建物がどのような機能の建物だったかは不明。また、この村には慰霊碑があると書かれていたが、訊き方も悪かったのか、案内のNena氏は他に見るものはないと言って通り過ぎてしまった。

第二次戦争末期、この島は空爆はあったものの米軍は上陸せず先へ侵攻したのですが、かなりの犠牲者を出しています。
主たる原因は飢餓による病死と言われていますが、環礁とは違い雨も多く植生も豊かな島なのに何があったのでしょう。

マリンパーク コスラエ島の南側、空港の丁度反対側のウトウェ(Utwe)にあるマリンパーク

島の人達や観光客が、バーベキューパーティ等のためよく来るのだそうです。
この日は日曜日だった為この公園も閉まっていました。
ここでは日曜日は、レジャーの日ではなく教会へ行く日なのです。

道路が舗装されているのはUtwe村までで、マリンパークのあたりは舗装されていませんでした。
更にこの先にあるウルング(Walung)村へは、道路はなく船で行くのだそうです。

コスラエ島は、人々が皆身ぎれいで明るく親切でした。
日本に交換留学で何年かホームステイしていたと言う女性や、数人の日本語を話せる人に会いました。

泊まったフェニックス・リゾートはレンターカー付きで部屋を借りることが出来、我々も2部屋の内の一つを車付きにして貰い、食事は車でレストランへ食べに行っていました。
その内フェニックス・リゾートでも言っておけば朝食を作ってくれる事がわかり、3日目からは朝食は出かけなくて良くなりました。

<Pohnpei編はこちらから>

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