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マーシャル便り


3.仮住まい

赴任して数日はホテルに滞在し、マーシャル政府が提供してくれる住居を幾つか見て歩きました。色々な条件を考えて良いと思われた家は7月まで空かないとのことで、それまでアパートに入ることにしました。
幹線?沿いで(道路は1本のみですから、どこでも幹線沿いです!)3階建てのアパートです
。私と一緒にこの地に夫妻で赴任されたSV(シニアボランテイア)も同じアパートに入ることになりました。アパートと言うのは、まあどこの国でも同じでしょうが、新築ではありませんし他人が使っていた所にそのまま入居するわけですから、入居してから毎週末掃除ばかりしていました。
一度に何もかにも出来ませんしやりすぎると疲れますので、少しずつ何週にも分けてやりました。

(入居したアパート )

このアパートは、土地の人はコリアンアパートメントと呼んでいて、オーナーが韓国人だと言われているのですが、島の外に出ていて居らず未だに会ったことがありません。
メンテナンスを何でも引き受けている方が1Fに住んで居るのですが、全く英語が通じません。売店の女の子も中国人で英語はほとんど話しません。マーシャル政府が提供してくれるのですからよけいな心配はする必要がないのですが、必要なことも通じないのは困ったものです。韓国語と中国語を片言でも勉強しておくべきだったと、こんなところで反省させられました。

(アパートのDPアンテナ アパートに張った14と28のDPアンテナ。L字形の建物を利用して張りました。方向はほぼ日本向きです)

5月の連休に、大和ARCの皆さんがパラオに行かれると言うので、なんとかコンタクトしたいと思い、勤務先の運輸通信省でライセンスをもらい、アンテナを仮に張って備えました。
まだ開けている時間帯もよくわからず、時々聞いてみるのですがちっとも聞こえません。
建物にくっついているせいか、14MHz帯のVSWRが3程度で、これより下がってくれません。 
区切りも良いので5月1日の午後から14MHzCQを出しました。早速沢山の局から応答があり、うれしくなってしまいました。
アマチュア無線をやっていて良かったと思うのはこういう時でしょうか、しかも皆さんから暖かい励ましを戴いて恐縮してしまいました。

(下から見たDPアンテナ VSが下がらないので一緒に張ってあった28MHzのエレメントをはずしてみましたが、良くなりませんでした。やはりアンテナと言うのは空間とマッチングして働いていることがわかります)

パラオの大和ARCの皆さんとは、5月2日になってやっと18MHzに居るのを見つけ、14のアンテナなのに18MHzで試しに呼んでみるとなんとすぐに気づいてくれました。
その後、週末の夕方には出ておりましたが、仮のアンテナに小パワーと言うのに、このホームページでおなじみの皆さん方大勢から呼んで戴きました。
日本では1年間アンテナを上げていなかったのですが、大和に居るときよりFBに皆さんとお話が出来て妙な気持ちになりました。

(椰子の木と空1 このアパートのすぐそばに1本の椰子の木が生えています。青い空によくマッチしていて南国の風情があります)

(椰子の木と空2 季節によるのでしょうか、今は結構雨が降ったり雲が出てあまり変化のない景色ですが、夕暮れ時の雲の色は絶品です)

このアパートの良いところは、すぐ前に中華料理のレストランがあることです。皆さん電話しておいて車でテークアウトで持ち帰るお客が多いようです。客が誰も居なくても厨房は忙しいのか、夕食時はいつもビールを1本飲み終えてもまだ料理が出来上がりません。

(アパートの番犬 シェパードの老犬で、いつも階段の涼しいところで寝そべっています。通る時はまたいで通りますが、ぴくりとも反応しません。)

ですが、ある時、丁度私の部屋の前の通路でこの犬がドデッと横になっていた時、たまたま残り物があったのでスープの汁をかけてコンビーフを少し混ぜて紙皿で鼻先においてやりましたら、私の顔を見るでもなくすぐに食べ始めました。次の日この犬とすれ違ったとき、すれ違いざま私の手に軽く鼻先を触れて挨拶したではありませんか。更に数日後に、レストランからTake-outの食事を持って階段を上がっていましたら、喜んでついて来るのです。そこで私が「NO!」と言うと、ぴたりとついてくるのをやめました。このアパートで英語がわかるのはセキュリーテイ担当の彼だけなのです。残念ながらなんと言う名前かは聞くことが出来ませんでしたが(笑)。

(ウリガドック ドックと言っても実際は小さな埠頭です。ここに運輸通信省のオフイスがあります。)

私の赴任の時期は丁度勤務先のオフイスも移転の最中でした。
今も幹部の部屋はまだ出来ていませんが、私ほか担当者の部屋は先に出来上がりました。
運輸機能は海に囲まれた国ですから当然海運が主体です。元々この埠頭の近くにあったオフイスに移転することになったようです。

(オフイスと橋 この小さな建物に勤務していますが、朝方大雨が降ることが多く、オフイスの前は水がたまってしまいます。さすが「運輸」通信省です、船に乗船時かけるブリッジ?/橋?(なんと言うのでしょうか?)が掛けられています)

(警備艇 キリバスとマーシャルの警備艇が並んで係留されていました。マーシャルには警備艇はこの1隻のみだそうです。同じ型のようですからこれらはオーストラリアから供与されたものかもしれません)

ある日街の幾つかの商店に2本の国旗が掲げられていました。一つはマーシャルの国旗です。もう一つはどうも見たことがある旗です。

(2本の国旗 やはりここは海洋国です。外国の船が入港すると国旗を掲げて歓迎の意を表しています)

実はこの国旗は、オフイスのすぐ向かいにある1Fは免税店、2Fは中華料理店になっているオーナーが掲げたものでした。私も昼食はよくここを使っていました、なぜならメニューに日本語が併記してあり奥さんは日本語も上手だったからです。この国旗があったのでここのオーナーは台湾出身と言うことがわかりました。

(台湾Navyの若者達 レストランで同じテーブルになった若者。一人は名前を林士祺(Lin Shin Chi)21歳と書いてくれました。とてもさわやかな若者でした)

この日の昼食は、実は別なレストランで取っていました。
そこへ一度に10人くらいの若者が入ってきて、私のテーブルにも「いいですか?」と座ったのでどこから来ました?と英語で聞いたのですがあまり通じません。そこでいつも持っている胸ポケットのメモに「歓迎台湾海軍艦隊」と書いて示したら、「そうですそうです!」と反応しました。そのうちに一人日本語の上手な若者が現れて、3日ほどの停泊でまた出発すると教えてくれました。

Bikini Hall とてもきれいな建物です。中にBikiniの観光案内所があるのだそうです。Bikini関係はアメリカが費用を出しているため立派な建物になって居るのだそうです)

ちなみにBikini環礁は今も人が住めません。ただし観光地として食事用食料は全て持ち込んでツアーが組まれていて、高いですがダイバーにはとても人気があるようです。

(水配給会社 Pacific Pure Water と言うのがこの会社の名前です。ここに水を頼むと5ガロン入りのボトルを配達してくれます)

マーシャルの水は雨水です。
どこの家でも屋根に降った雨を集めてタンクに蓄え使っています。飲用には沸かしてもいいですが、飲める水を配達してくれるのがこの会社です。
5ガロンの水が5$、ボトル容器が(最初だけ)10$かかります。水道もありますがこれも主体は飛行場に降った雨水を貯めたものです。マジュロ環礁の一番はずれの広い部分だけは真水の地下水が得られ、飛行場の貯水装置で繋がっているのだそうです。

(裁判所 手前の看板は左側にある博物館と図書館のもです。火炎樹と裁判所と言うのもなかなかサマになります)

 

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