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JA8VE ジャカルタ通信



JA8VE斉藤OMの、「ジャカルタ通信」をお読みいただく前に、管理人から一言申し上げます。

 2001年の春、JA8VE斉藤OMはインドネシアへ旅立ちました。
私(JF1OCQ)が、斉藤OMのジャカルタへの赴任を知ったのは、OMが現地へ出発されるわずか2週間前でした。
それも現地へ持って行かれるパソコンの準備を、たまたま私がお手伝いしなければ、もっと遅かったかも知れません(或いは知らされなかったかも)
「斉藤OM、そりゃ水くさいですよぉ〜」

 斉藤OMは、超大手企業で責任ある立場を勤め上げ、技術の長としても、その名跡を充分過ぎるほど残して来られた方です。
リタイアした後は、この日本でそれこそ何も考えず、安穏とした生活を送れたはずなのに、何を好んでわざわざ途上国のジャングル(?)に、しかも一介の技術者として出向いたのでしょう。

 私を初め、斉藤OMを見送った人たちの胸に、云い知れぬ感動(?)のようなものを生じせしめたのは、かつて「サラリーマンの鏡」の様な活躍をされて尚、リタイア後の今も更に前に進もうとするOMの姿に、今の、そして将来の自分の「有り様」をだぶらせたからではないでしょうか。

「自分もこうありたい」

そんな斉藤OMのジャカルタ通信を、これから折に触れてご紹介します。
どうぞお楽しみに。

− JF1OCQ 記す


アイボールミーティング (2002年 4月)

 私(斉藤)が2回目のベトナムへのペディション(XV5VE)でカットバー島へ行った時にQSOした、YB0GJSと言う局から「QSL着いた有り難う」と言う手紙が日本の自宅宛に大分前に来ていたのを、最近になって(家族が)転送してきました。
彼の同封QSLにe-mailがありましたので、「有り難う実は今Jakartaに住んでます」と(英語でHi!)メールしたら、早速返事があって、今度Eyeball meetingしましょう と言って来てくれました。

 指定は、3月17日(日)の昼13時ジャカルタ中心部にあるハイヤットホテルとSOGOが入っている大きなビルの3Fにある「たいちゃんレストラン」とのこと、彼一人か他に居ても1人か2人と思って行ったらなんと、下の写真の様に大勢集まってくれていました。

 この写真に入っていない方も居ましたし、子供を連れてきている方もいました。
危なっかしい片言インドネシア語と英語とHAM語で実に楽しいひとときを過ごしました。
しかも翌日すぐにデジカメで撮った写真を貼付の様にメールで送ってくれる局(YB0DPO Dudyさん)も居て(下の写真)、「いあやーHAMって 本当に良いものですねえ!!」と言う次第でした。 

 私の為にこのアイボールmeetingを企画してくれたYB0GJS Gjellani(ジエラニーさん:読むのが難しいのでラニーでいいと教えてくれました)さんは、2児のパパで、なんとジャカルタにある日本食チェーンレストラン「タイチャングループ」のマネジャーをしている方で、もうここに15年勤めていると言うことでした。
英語はあまりうまくはないと言っていますが少し日本語も話します。全員の写真では前列一番右の方です。 

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