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ジャカルタ通信


  Buah(ブア) (2002-04-29)


このお話は、果物の中でも最も柔らかく、おいしい果物の話です。

私がまだ、一生懸命インドネシア語の勉強をしていた頃のお話です。
果物シリーズで紹介しているように、インドネシアには今まで見たことや食べたことのない果物が沢山あります。
スーパーや露天で珍しい果物を見つけては、買ってきておそるおそる試しています。
そんな話をオフイスでしていたら、課長が「斎藤さん、Buah dadaって知っている?」と聞きます。無論インドネシア語ですが、この位の会話はわかるのですが、
いかんせんBuah何とかは知りません。それで「それ、食べられる?Itu bisa makan?」と聞き返しましたら「食べられるとも!Bisa!」との返事です。
それで更に「それっておいしい?Enak?」と言うと、「おいしいとも!Enak!」との返事です。
じゃあ「試しに食べてみたい。Saya mau coba makan.」と言うと、みんなが大笑いするではありませんか。女性達も楽しそうに笑っています。

私も迂闊だったのですが、教室で教わった時には、身体の各部の呼称などなかなか覚えられません。Dadaは実は「胸」なのです。男性の胸はただのDadaですが、女性の胸は「Buah dada」なのだそうです。そうです、意味は「胸の果物」です。
これを聞いて、なるほど、インドネシア語ってなんてすばらしい言葉だろうと思ってしまいました。

私と同期で、かなり奥地に赴任した方から聞いた話ですが、庭のマンゴーの樹にたわわに実がなって、もうそろそろ食べ頃かなと思っていた矢先、ある日帰って来たら、綺麗さっぱりみな収穫済みになっていたそうです。
近所の人達が大勢で、雇っているセキュリティーも一緒になって採って、おいしかった、と言っていたというのでしかる気にもなりませんでした、とのことです。

なぜか、Buah dadaと言う言葉を知って、この方のお話を思いだしました。
インドネシアでは、果物と言うのは何かしら「自然の恵み」と言うようなニュアンスがあるのではないか、と思われるのです。
ですから「胸の果物」にはことさら感心してしまいました。

写真のないお話が続きますが・・
殿方には賛成していただける方が多いと思うのですが、18世紀の写実的な人物画なんか見ていると、ふくよかな女性の胸元にはなぜか吸い寄せられるような感じがするのですが、いかがでしょうか?
決してHな感覚ではなくて、そういう深層心理があるように思われてなりません。
私の説は、これは人間皆お母さんのBuah dadaを吸って大きくなったわけですから、そのときの感覚がどこかに残っていて、そう感ずるのではないか?と言うものです。
そこである時、私の娘に聞いてみましたら、「んー、そういう感じ無いなあ。それはきっとパパが男だからじゃない?」と軽くかわされました。
でも、私の娘は二人とも全くの人口栄養で育ったので、私としては、信頼性のある答えとは思っていないのです。
あのモナリザのほほえみの様に、ちっとやそっとでは解き明かされないのかもしれません。

(ジャカルタ国立博物館にある石像。みんながさわるので、黒光りしていました。私の説が半分くらいは正しいのかもしれません。)


Mashi saya mau coba makan Buah da... (でもやっぱり、たべてみたい・・・?)

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