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BN0Fの台湾B級日記


台湾に残された「3人の日本人」

 「終戦で日本人がみな内地に引き揚げたとき、台湾に3人だけ日本人がとり残されたんだ」―。台北で大きな製薬会社を経営する何建廷(か・けんてい)さん(66)は流暢(りゅうちょう)な日本語でこんなことをいう。
昭和12年生まれの何さんは小学校3年生まで日本統治時代の教育を受けている。

台湾にも中国東北部のような日本人残留孤児が何人かはいたのかな?などと首をかしげていると、いたずらっぽい目で笑いながら何さんはこう続けた。「戦後の台湾に残されたのは、おじさんとおばさん、そして運ちゃんの3人だな」

台湾語では今も、「おじさん(欧吉桑)」「おばさん(欧巴桑)」「運ちゃん(運将)」といった日本語の呼び方が残っているという。
漢字は当て字だが、おじさん、おばさんは友人の両親や、近所のおじさん、おばさんをさす。
「欧巴桑」は時に家政婦さんを意味することもあるというが、おおむね戦前の日本統治時代の日本語がそのまま台湾語に残ったかたちだ。

3人目の「運ちゃん」は少しニュアンスが異なる。
ここ台湾ではタクシーに乗ったとき、日本語で言う「運転手さん」という比較的ていねいな意味で、「運将(ウンチャン)」と呼びかけることが多い。
女性のなかには英語のミスターに相当する「先生(シェンション)」をつけて、「運将先生(ウンチャンシェンション)」という人もいると聞いて驚いた。

何さんの話は続く。
「ある若い台湾人が日本へ旅行に行ってタクシーに乗ったとき、ていねいな日本語を話すつもりで『運チャン!』と呼びかけたところ、イヤな顔をされたといって憤慨したとかしないとか」。

ただ何さんに言わせれば、その若い台湾人は、「運ちゃん」がもとは日本語だったということを知っているだけでも偉い、ということになる。
「戦前の日本教育を受けた台湾人はもう年をとった。台湾語に残されたおじさん、おばさん、運ちゃんの3人がいつまで『日本人』のままでいられるのかな」。何さんの後姿は少し寂しそうだった

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