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南シナ海の孤島「東沙(プラタス)諸島」視察記


 

BU2/JJ1TBB BN0F 河崎眞澄

東沙島の空撮画像から滑走路がくっきり見える(海巡署提供)

 BQ9P運用で知られる南シナ海の台湾支配下エンティティー「東沙(プラタス)諸島」を2005年9月に視察する機会がありました。
台湾当局の許可を受けなければ一般の観光目的での渡航は認められていませんので、渡航は得がたいチャンスではありますが、業務が主目的のため無線機やアンテナなどの持参は許されず、残念ながらDX運用に関する話はなにひとつ聞けませんでした。
ただし渡航手段や島内のようすなど基礎的な情報は得られたと思います。
JF1OCQ
 三宅広幸さんのご好意とお力添えにより、今回の情報と現地の写真の一部を視察記としてお伝えします。
東沙諸島をめぐる国際軍事情勢を前段の中心にしていますので、読みづらいようでしたらお詫びします。

中国大陸で国共内戦が続いていた1946年に、東沙諸島は蒋介石政権が占拠し実効支配を始めました。
長らく軍が管轄し、ミサイル配備などを行っていましたが、2000年に台湾の海上保安当局である行政院(内閣)海岸巡防署が軍から管轄権を委譲され、攻撃型の装備を次々と撤去して現在に至っています。
南シナ海に台湾南部の高雄港から南西約438キロの沖合に浮かぶ離島で、周辺の海域では海底鉱物資源の埋蔵の可能性が指摘されているほか、豊富な漁業資源があり、中国の漁船も頻繁に入り込んでいるとのことです。

 南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島はその全部を台湾と中国が、一部をベトナム、フィリピン、ブルネイ、マレーシアが領有を主張し、それぞれが独自に実効支配する島や岩礁をもっていることは知られています。
東沙諸島は南シナ海の北部にあって、台湾と中国のみが主権を主張しています。
台湾当局によると、2005年に入って中国の海洋調査船の侵入が2回確認されており、領有をめぐり中台の緊張が高まってきたようにみえます。

9月6日、高雄港を出航する沿岸警備船「偉星艦」(総排水量1823トン、黄州豊艦長)

 台湾南部の高雄港から海巡署の沿岸警備船「偉星艦」(総排水量1823トン、黄州豊艦長)に乗り、15時間をかけて東沙諸島の北西、約8キロの海域に停泊しました。
この日の海は穏やかで揺れにさいなまされることはありませんでした。
沿岸警備船の船室は快適でトイレやシャワー、食事に悩まされることもなく、また幹部用のカラオケ室には中国語のみならず日本語の曲が多数リストされていたのには驚きました。

沿岸警備船「偉星艦」の艦内

サンゴ礁に囲まれた東沙諸島は水深が浅く、小型の警備艇でないと接岸できないため、沿岸警備船から警備艇に乗り換えて上陸です。
南シナ海でも最大という陸地面積1・74平方キロの東沙島は起伏のない平坦な環礁の東沙諸島の西端にある中心となる島です。

偉星艦では旧日本軍が昭和10年に作成したプラタス諸島付近の海図を今も使用する

 偉星艦は旧日本軍が昭和10(1935)年に作成した同諸島付近の詳細な海図を今も使用し、目視で座礁を避けながら接近していました。
旧日本軍は昭和14(1939)年に南シナ海全域を「新南群島」として支配下に置き、東沙島に南洋への中継用として滑走路を作ったとのことです。
この滑走路も台湾空軍が「東沙空港」として改修。現在は「
C-130」輸送機が月一回飛来するための「東沙機場(飛行場)」となっています。
この飛行場と輸送機の運行は空軍の管轄下にあり、海巡署とは指揮命令系統が異なります。

10キロほどに接近したプラタス島の遠景。環礁であり島の起伏はほとんどない

沖合いに停泊した沿岸警備船から小型の警備艇に乗り換えてプラタス島に向かう

 台湾当局が東沙諸島の管轄を2000年に海巡署に一方的に移管した理由は、やはり領有を主張する中国との緊張緩和を目的に「善意を見せた」ということです。
その際に大型の防衛装備は撤去されたといい、現在は半径約14カイリ(約25キロ)の海域をカバーするレーダー設備のほかは、口径40ミリ高射砲が数基、榴弾砲など極めて限られた装備しか目にはつかず、防衛装備すら十分でない印象をもちました。
東沙島には2個中隊、約200人が駐屯しています。李文傑指揮官は、「東沙周辺で有事の際は12時間以内に軍の支援が得られるほか、海巡署だけでも最低2週間は島を防衛する能力がある」といいます。

手前に40ミリ高射砲の砲台、奥に見えるのがレーダー棟。防御施設は手薄の印象

  こうした状況に危機感を抱いている海巡署では1億7000万台湾元(約6億円)の予算をつけ、2年以内に100トン級の警備艇が東沙島に接岸できる新たな埠頭を建設する計画を進めています。

サンゴ礁で水深の浅い東沙島の接岸埠頭は目下のところ小型ボート専用


また未確認情報では、島へのさらなる防衛装備の増強や、国防部(国防省)への管轄差し戻しなども当局部内で検討されているもようで、中台関係の緊張状況によっては、東沙諸島への外国人の上陸は今後認められなくなる恐れもあるとの印象を得ました。
軍の再駐屯論議について海巡署トップも、「国家戦略方針に基づいて東沙諸島をどう扱うか、検討すべきタイミングにきている」と話していました。

視察同行した台湾のケーブルテレビ局の記者からマイクを借りてC-130前でポーズを取る筆者(JJ1TBB)


 東沙島には発電所、気象観測所、海水の淡水化設備、診療所などの基礎設備はありましたが、一般住民はいないため商店などはありません。
台湾公営の中華電信による衛星サービスで島内には公衆電話があるほか、中華電信の携帯電話に限って使用が可能です。指揮本部では
ADSLによるインターネットにも対応しているとのことです。
携帯電話の通話料は台湾本島と同じ扱いということですが、通話安定性はよくありませんでした。
ただ台湾本島とは異なる離島環境ゆえ、カ、ハエ、ゴキブリ、サソリなどの害虫に属する存在は一切なく、強烈な日差しさえ避ければ湿度もさほど高くなく、快適に運用できそうです。

東沙島の指揮本部。指揮官ほか幹部職員が詰めるが危機感はあまり感じられない

 島周辺には手つかずの海底鉱物や漁業資源があるほか、東南アジアや中東と台湾、日本を結ぶ海上輸送路の要衝となっています。
一方で中国は東シナ海に続き南シナ海の海洋資源獲得をにらんでおり、2005年5月には中国の海洋調査船が、短期間のうちに2度にわたって東沙諸島の海域に侵入。
沿岸警備艇とにらみ合う一触即発の場面があったとのことです。
また東沙の環礁部分に中国の漁船が上陸するケースも後を絶たないといいます。

東沙機場の管制塔は空軍が管轄しておりコーストガードと指揮系統は別
 

 こうした中台緊張を背景に、7月28日には陳水扁総統が東沙諸島を視察し、台湾による主権を改めて主張するとともに「東沙海洋国家公園」として整備を進める意向を示しました。
陳総統は空軍輸送機で飛来しましたが、この日は200人の駐屯人員も含め全員の個人通信も禁止されたそうです。
極秘裏に飛来して活動を終え、台北に戻ったところでようやく渡航の事実が公表されました。
輸送機に陳総統が搭乗していることが漏れた場合に中国などからの攻撃、ないしは偶発を装った事故などがおきる恐れがあると判断されたそうです。
この島が置かれた特殊かつ微妙な状況を物語る傍証といえそうです。

東沙島から周囲14カイリの海域をチェックするレーダー棟。攻撃設備はみあたらない

また2004年1月には謝長廷・高雄市長(当時)も視察。島内に「高雄市バス」の路線を設置し、「東沙一号」と名づけた公共バス1台を配置しました。
東沙島には「高雄市旗津区中興里三十一号」との地番が当てられており、実効支配の実績を上げる狙いがあります。
この地番は周辺海域で操業する台湾の漁民が上陸した際の宿泊施設となる「漁民サービスセンター」にあてられ、住所表記も入り口に掲げられています。
形式上、高雄市の公務員2名が戸籍をこのサービスセンターに移して、戸籍上の住民となっています。

高雄市が配置した高雄市バス「東沙1号」。台湾の実効支配の実績作りの一環だ

南シナ海は東沙や南沙などの領有をめぐり台湾、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイの6カ国・地域の主張と実効支配地が入り乱れ、「東アジアの火薬庫」と呼ばれています。
台湾はさらに東沙島の南方約1280キロの南沙諸島にある「太平島(陸地面積約0・43平方キロ)も支配下に置いています。かつての
DXCCルールであれば台湾当局からこの島での運用許可と上陸許可を得て運用すれば、ニューエンティティーと認められた可能性が高かったでしょう。

台湾海岸巡防署(コーストガード)の東沙指揮官・李文傑氏は明るく話し好き。


現在ではマレーシアが実効支配する南沙諸島南部のラヤンラヤン島と同じく、領有権未確定の「スプラトリー諸島」の一部としての扱いになると考えられます。
南シナ海では1974年と88年に中国とベトナムが武力衝突。
2001年5月には
BS7Hを運用していたグループとメンバーを運んできた中国船にフィリピン軍が威嚇発砲するなど紛争が絶えません。
BS7Hをめぐる事件は、アマチュアの運用が国際紛争のタネを引き起こした問題の事件として記憶されるべきでしょう。
南沙諸島では中国が7カ所に約600人、ベトナムが27カ所に約2000人の兵力を配置しています。

美しい白い砂浜の海岸線は敵の上陸に備えた金属が多数埋め込まれている。

 東沙諸島におけるDX運用の可能性について考察してみたいと思います。
最も近い運用は2003年9月の
BQ9Pでした。チームリーダーはCTARLDX担当主任委員のBV4FH Paulです。その際の運用にぜひ参加したかったのですが、残念なことにバンコク出張が重なって断念しました。
その後も
CTARLBQ9Pの運用計画を聞きましたが、CTARL北部分会の副理事長となったBV2KI Bruceによれば、サンスポットナンバーが低い時期は飛ばないんじゃないか、といった程度の理由で数年間は凍結する意向のようです。
そこは本音ベースでは、渡航にコストがかかることが台湾の方々を躊躇させていると思います。

砲台からみた東沙島の入り江。鳥類や植物など手付かずの自然が残されている。

 運用の要となるライセンスについては、CTARLが免許人となる期間限定の特設局としてCTARLが交通部(交通省)に申請すれば、その期間に何らかの特殊事情がなければ、現在の情勢下ならばほぼ確実に免許されるものと思います。
したがって交通部からの免許を前提に、東沙諸島の管轄機関である海巡署の上陸および滞在許可、ならびに滞在にかかわる宿泊や電力、水、食料、運用場所と宿泊場所の確保など、各種便宜供与の承諾を得らればよく、今回の渡航で海巡署とのこの面での交渉は十分可能であるとの感触を得ました。

周辺海域で操業する台湾漁民のための施設。ここが運用場所のひとつの候補に

問題は運用時期と渡航手段です。
まず渡航手段についていえば、海巡署の艦艇に便乗させてもらうか、これまでの運用のように民間航空機を往復で2回チャーターするかの方法があります。
空軍輸送機への便乗はフライトの時期の関係や許可問題でかなり難しいという印象です。
海巡署の艦艇の場合は、上陸滞在許可などと込み込みで申請することが可能かと思います。
民間航空機のチャーターは、高雄空港から片道40分ほどのフライトで行きと帰りの2回で、合計およそ400万円のイメージです。
20人が割りかんすれば1人20万円ということになります。
いかにしっかりした人数を集めるか、場合によってはドネーションを得ることができるか、このコストの解決がかぎになるでしょう。

東沙島唯一の寺廟「東沙大王廟」。ここで祈願しないとコンディションは上がらない?

 運用時期として個人的に魅力を感じているのは2006年1月下旬から2月上旬にかけての農暦正月の休暇のころです。
この時期は台湾漁民も東沙諸島を利用することもなく駐屯人員もお祭り気分で機嫌よく迎えてくれます。
同時にサンスポットナンバーを問題視する
CTARLに対し、これまでのBQ9Pが秋ばかりで、冬のローバンドによる需要を満たしていないと説得する可能性があります。
実際のところ160m−30m中心として、20mなどもロングパスを狙っていけばこれまでにも増して、面白い運用になるでしょう。

旧日本軍が作った滑走路を台湾軍が改修して使う「東沙機場(飛行場)」のメーン看板

 渡航時期と運用計画として可能と思われるタイミングは、2006年1月27日(金曜日)に高雄からチャーター空路、または海巡署の艦艇で東沙諸島に出発。
航空機の場合は同日から、艦艇の場合は翌朝28日(土曜日)からアンテナ設営および運用開始。2月5日(日曜日)に撤収および高雄に向け航空機、または艦艇で機関。艦艇の場合は6日(月曜日)朝に高雄着。
この期間中1月29日が農暦元旦となります。コスト計算では航空機を往復チャーターした場合(立栄航空が対応しています)、滞在費を含め、台湾域内発着で機材関連の費用負担を除くロジ部分のみで20人参加として1人30万円以内。
日本発着で35万円前後のイメージです。艦艇に便乗できる場合、上陸時の荷物運搬などで重さの問題がでてきますが、相当安い金額(食費+α)で対応してもらえそうです。

補給のため月に一回、台湾空軍の輸送機C-130が飛来。この日はたまたま遭遇した。

 JAからの参加者を大多数としながらも、CTARLを前面に押し出す形でのBQ9Pまたは異なるコールでの東沙諸島からの運用の可能性は低くないと思われますが、時期も迫る中で賛同者の人数とコスト負担能力が大きなカベになってくると思われます。
なお2008年に転換点を迎えると思われる中台関係の微妙なバランスの時期にあって、年を追うごとに実現の可能性が低まるとの観察もあります。
今後は情報収集できる範囲で、航空機のチャーターや海巡署の許認可の反応などを探って、
FS(フィージビリティースタディー)を地道に進めていきたいと思っていますが、万一、日本への帰任となればその努力もアワと消えてしまう恐れもあるのですが。
みなさまのお知恵をおかしください。

 

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